『平凡な日暮らしも当たり前ではない』

 私たちは日本人の平均寿命が世界でも上位であることを知っていますので、自分の健康に特に問題がない時は、毎日朝を迎えることについて特別な感情を抱くことはありません。

また、テレビや映画でドラマチックな人生を生きている人を見ると、そのような生き方に憧れたり、自分の人生が平凡であることにつまらなさを感じたりすることがあります。

 それは、きっと生の側から死を「曖昧なもの」として、漠然としか感じていないために、今日という一日の大切さを実感できていないからではないでしょうか。

「死の自覚が生への愛だ」と言われますが、死を他人だけのものではなく「私のこと」として自覚することが出来なければ、今日が決して平凡な一日ではないということになかなか気付き得ないものです。

 時折「死んでも死に切れない」という言葉を口にしたり、耳にしたりすることがあります。

例えば「あなたは百歳まで生きる」という保証をされていたのに、九十歳になった時に「残念ですが、あなたの命はあと一年…」とか言われたのならその言葉にも頷けますが、誰もそのような保証をしてくれる人はいませんし、またされる人もいないのです。

 むしろ「一寸先は闇」いわれるように、私の未来に待ち受けている確実な事実は「私の死」だけで、それ以外はすべて不確かに包まれています。

そうすると、私たちは常に「死に切れるような今を生きていますか」ということを問われているのではないでしょうか。

平凡に思えるこの瞬間も、「尊く大切な今」なのだといえます。