「親鸞聖人の念仏思想」 3 8月(後期)

 人間の願いは、一般的には現世での幸福と、その幸福が永遠に続くことを願う「現当二益」が中心です。

それゆえ、そのような私たちにとっては、自分達の幸福を約束してくれて、それが永遠に続くと保証してくれるような教えが一番魅力的な教えとして心が引き付けられるのです。

しかし、親鸞聖人はそのような私たちの現当二益への願いそのものが、悪を好む姿だといわれ、そういうことを餌にして人々を引き入れようとする教えが、偽であるといわれます。

 では、なぜそのようにいえるのでしょうか。

それは、このような願いは人間の自己中心的な我の考えに根ざしたものに他ならないからです。

そして、そのような願いをかなえることが出来るといって人々を導く教えは、まさに人間の自己中心性を助長するだけで迷いを重ねさせるだけに過ぎません。

だからこそ、その行為は悪であり、その教えは偽なのです。

自己中心的な願いは、人間をけっして真実の幸福に導かないばかりか、むしろ破滅に導いてしまいます。

それゆえに、このような教えは、その外観とは裏はらに、悪を好むものになってしまうことになるのです。

表面的には好ましい教えに見えながら、その実、悪を助長するものになっているので、偽の教えは恐ろしいのです。

 そして、その教えにしたがって生きている人々は、先に見た五逆、十悪の悪人たちよりも一層注意が必要だといえます。

そこでこの「悪」の規定は、自己中心的に一心に善に向かって生きることだというべきでしょうか。

とにかく、この「悪」を見抜くことは、私たちの心には善に向かっているかのような錯覚を与えるだけに、容易ではないといえます。