『お盆 縁に導かれ手を合わす』

 ものごとは結果から見ると、必ず原因があります。

例えば、美しく咲いた花という結果には、必ず種という原因があります。

けれども、ただ単に原因となる種があっても、そこにさまざまな条件が整わなければ花という結果は生じません。

 よく知られているように、種を埋める土や養分、水や日光などの条件が揃うと、種はやがて芽を出し、葉が出て花を咲かせます。

この土や養分、水や日光などの諸条件を「縁」といいます。

「縁起」という言葉は、物事が縁によって起こっていくので縁起といい、その反対は縁によって滅していくので「縁滅」といいます。

 例年お盆には、ご家族で亡くなられた方や先祖の方々のお墓にお参りしたり、お仏壇を飾りつけたりします。

ところで、「年間を通して、いつもこのように亡くなられた方や先祖の方々に心を寄せていますか?」と問われると…、いかがでしょうか。

日頃はさまざまなことに追われるような日暮らしをしていると、それこそ「自分のことだけで精一杯」といった感じで、「なかなか…」といったところだと思われます。

 そうしますと、お盆は「私が亡き方や先祖のために…」というよりも、むしろ亡くなられた方や先祖の方々の「ご縁」によって導かれ、仏前や墓前に手を合わせることができているのだと言えるのではないでしょうか。

亡き人を案ずる私が、実はいつも亡き人やご先祖の方々から案じられ、拝まれていることに心を寄せ、尊いご縁に導かれていることを感謝申し上げたいものです。