最近、インターネットで検索していたとき、あるホームページの投稿欄に

最近、インターネットで検索していたとき、あるホームページの投稿欄に

「ある母親が学校に対して、『うちの子には給食時間に「いただきます」を言わせないで下さい。

給食費を払っているのですから。』と意見した。

またある学校のPTAは、学校に対して『こっちがお金を払っているのだから給食時間に「いただきます」を言わせないようにしてほしい』と申し入れた。」

という内容の書き込みがありました。

一方、学校で教師が「いただきます」は「宗教的な儀礼の押しつけになるから」との理由で、代わりに太鼓をならしたり、笛をならして給食を開始したりしているという話しを聞いたことがあります。

また、私の友人が友達とレストランで食事をしていたときに、手を合わせて「いただきます」と言ったら、「そんなことを言うの?」と、びっくりされたことがあるという話したことがありました。

いずれの事柄にも、私は驚くとともにこのような風潮が当たり前となっていることに危機感を持ちました。

「いただきます」というのは、日本人が動物や植物の「いのち」をいただいて、自分の「いのち」を長らえさせていくことへの感謝。

また、米や野菜を苦労して作ってくださったり、食事を作ってくださった人への感謝の言葉ではないでしょうか。

このひと言は、私たちにとってかけがえのない言葉であり、心を育んでいくことにもなります。

この言葉をなくすということは感謝の心を無くすことにもなります。

もう一度、私たちは「いただきます」、このかけがえのない言葉を見つめ直していくべきであり、子ども達に伝えていくことが大事であると思います。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。