『彼岸を仰ぎながら 此岸に生きる』

早いもので、今年も春季彼岸会を迎える時節になりました。

「暑さ寒さも彼岸まで」

と言われるように、春秋のお彼岸は私たち日本人の生活にすっかり溶け込んでいます。

そこで、彼岸会の由来について伺ってみますと、「彼岸」とはお経には「到彼岸」と出てきます。

つまり「彼岸」とは、「到彼岸」を略した言葉で、

「迷いの世界を渡ってさとりの世界に到る」

というのが、その意味するところです。

四季の変化に富むこの国で、昼と夜の時間が同じになり、冬の寒さと夏の暑さがそれぞれに和らぐ春分・秋分の頃は、また仏道を修行する上ではもっとも適した時節であることから、この「彼岸会」の法要は仏教各宗派において古くから盛んに営まれてきた日本独自の仏事です。

なお浄土真宗においては、この彼岸会はあくまでも仏さまの徳をほめ称える大切なご縁であり、親鸞聖人はご和讃に

「迷いの世界は限りがなく、その迷いの海に遥かな昔から沈んでいる私たちを、阿弥陀如来の尊い願いの船のみが必ず私たちをさとりの世界へと導いてくださいます」

と、お示し下さっておられます。

けれども、私たちはこの迷いの身がいつ始まったか、またいつ終わるかわからないばかりか、実は深い迷いのただ中にあることさえも気づき得ないままに、自分の思い通りにいくことばかりを夢見ています。

そのような私の身の事実に気づきかせて頂き、この「いのち」帰る世界への道のりを教えてくださるのが、仏さまの尊いみ教えです。