「冥福」

 葬儀の弔辞や弔電で

「ご冥福をお祈りします」

という言葉が使われます。

何気なく耳にしている言葉なので、

「お元気で」とか「さようなら」

といった日常の挨拶程度の言葉と受け止めて、あまり気に留めてはおられないことと思われます。

「冥福」の冥とは冥界のことで、冥土・冥途とも言われます。

仏教辞典によると、冥界とは

「死後の幽冥の世界をいう。六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)の中の三悪道(地獄・餓鬼・畜生)、特に地獄道に通ずる」

と説明してあります。

『十王経』という中国で作られた偽経によって、中国から日本に鎌倉時代に広まった俗信における死後の世界です。

昔は地獄絵図を子どもに見せて、

「嘘を言うと閻魔(えんま)さんに舌を抜かれるよ」

と諭したものですが、閻魔とはこの冥界の王であり、閻魔王の前で亡者の生前の善悪の業(行為)のすべてが鏡に映し出され、その罪の裁きを受けると言われます。

「嘘を言うと舌を抜かれる」

というのは、その裁きのひとつと考えられ、また

「地獄の沙汰も金次第」

というのは、罪を軽減してもらおうとする際の閻魔王への賄賂を意味しているのだと考えられます。

 このように、冥福と言った場合の死後とは、亡者がさまよい行く所であり、地獄に通じる世界で、決して望ましい世界ではありません。

その望ましくない世界に亡き方を送り出して、そこでの幸せを祈るというのは、いかがなものでしょうか。

「冥福を祈る」というと、死後の幸せを祈るということで、何となく良い言葉のようですが、その行く先を勝手に冥界と決めつけているのですから、亡くなられた方やご遺族に対して配慮を欠いた言葉だと思われます。

あるいは、そのような望ましくない世界に行かれた方のために追善の供養をするのだと言われる方もあるかもしれませんが、浄土真宗では

「本願を信じ念仏を申さば仏になる」

と説かれるように、

「念仏せよ、救う」

という阿弥陀如来の誓いを信じて、念仏に生きる人は、一人の例外もなく、必ずこのいのち終わるその瞬間に一切の迷いを断ち切られて仏さまになるのです。