「親鸞聖人における信の構造」(2)念仏と信心 4月(中期)

 若き日の親鸞聖人は、比叡山でまさにこの一点を問題にされたのです。

「たまたま自分は仏道を学ぶ縁に恵まれた。

その仏道を行じて、自分にはこの世で悟りに至る能力のないことを知ったが、幸い阿弥陀仏の浄土の教えを聞くことができた。

次の世、阿弥陀仏の浄土に往生することが出来れば、必ず仏果に至ることが出来る。

それ故に、自分は全力をなげうって一心に浄土往生を願ったのであるが、悲しいことに行においても往生の行が成就せず、信においても阿弥陀仏の救いを確信することが出来なかった。

それ故に、もし今、往生の確かさが得られなければ、自分は再び永遠に迷いの世界を流転し続けなければならない。

真剣に仏道を求める者にとって、これに勝る恐れはありません。

親鸞聖人が比叡山で究極的に悩まれた後世の問題とは、仏教者にとってのこの最大の苦悩を意味しています。

吉水の草庵で法然聖人は、人々に

「老人も若者も、賢者も愚者も、善人も悪人も、後世はすべて阿弥陀仏にまかせよ。

この世のすべての者にとって、生死出ずべき道は、ただ念仏して弥陀にたすけられるのみである」

と、この往生浄土の教えを、ただ一筋に語っておられました。

親鸞聖人はこの法然聖人に出遇われたのです。

百日間、法然聖人のもとに通われ、親鸞聖人はこの

「ただ念仏して弥陀にたすけられよ」

という教えを聞き続けられるのですが、ここで重要なことは仏道を行じ得なくなった親鸞聖人に対して、法然聖人がその怠惰性を何ら叱咤されなかったことです。

法然聖人は親鸞聖人に、どのような心で念仏を称え、どのように阿弥陀仏を信じるかというようなことは全く求めてはおられません。

なぜなら、親鸞聖人は今、一切の行道に破れて、法然聖人の前に佇んでおられるからです。

そこで法然聖人は親鸞聖人に、親鸞聖人自身の心のあり方を問わず、

「念仏を称えて救われよ」

と願っておられる、阿弥陀仏の本願の真実を明らかにされたのです。