「陶房雑話」(上旬) 窯から出てきた焼き物は子どもと同じ

======ご講師紹介======

十五代沈壽官さん(沈壽官窯主宰)

☆演題 「陶房雑話」

ご講師は、薩摩焼の伝統を四百年に渡って受け継がれる、沈壽官窯主宰の十五代 沈壽官(ちんじゅかん)さんです。

昭和34年生まれ。

昭和58年に早稲田大学を卒業後、京都府立陶工高等専門技術学校などで陶工の技を修行。

イタリアや韓国でも陶芸の修行を積まれ、平成11年1月15日に十五代沈壽官を襲名。

沈壽官窯主宰として窯を守り、全国で「沈壽官展」を開催。

昨年10月には、福岡の博多大丸で「薩摩焼十五代沈壽官展」を開かれました。

【薩摩焼】

「白もん」と呼ばれる豪華けんらんな色絵錦手の磁器と、「黒もん」と呼ばれる大衆向けの雑器に分かれます。

薩摩藩第十七代藩主とされる島津義弘の保護の下に発展しました。

平成14年1月に国の伝統的工芸品に指定されました。

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 焼き物が出来上がるまでには、窯詰めに3日、窯焚きに3日、冷やすのに3日かかります。

約10日間の作業ですが、3カ月分の仕事がそこに入っていると言われ、窯焚きを3回失敗すると家がつぶれるとも言われます。

 また窯というものは、毎回違います。

組むのが違う、天候も違う、季節によっても違う、焚く人間のコンディションも違う、つまり毎回全部違うんです。

同じ窯は二度とありませんから、すべてが最初、いつも手さぐりです。

前回がこのやり方でうまく行ったからといって、同じやり方は通用しません。

 そんな中、10日目に期待しながら窯を開けるわけですが、やはり半分は恐怖です。

窯は大きいので、すべてを均一にはできません、出てくるのは、いい物ばかりではないです。

 テレビで「水戸黄門」を見ていますと、そこに出てくる焼き物屋というのは、失敗した物をかたっぱしから割るわけです。

そういうイメージをみなさんも持っておられるのではないでしょうか。

私の友達にも、うまく出来なかった物に対して

「どうせ捨てるんだろう。だったら俺にくれよ。」

と言ってきた人がいました。

でも、そんな友達ならいりません。

 なぜなら、考えてみて下さい。

窯から出てきた焼き物というのは、私にとっては子どもと同じです。

窯はお母さんそのものです。

焼き上がった物の出来が悪いからといって、その場でパンと割るわけにはいきません。

 みなさんは、台所でお茶碗が割れたとき、パリンという音を聞いて良い気持ちがするでしょうか。

しませんよね。

私たちにとっては、もっと嫌な音に感じるものです。

ですから、みなさんの前で、公開処刑をするようなことは出来ないんです。

 もしそういうことをしている焼き物屋からいたら、その人はあまりいい人じゃないと思います。

自分たちがいかに商品を厳しく選択しているかを見せたいのでしょうけど、それにしても、やはりやり方としては間違っているのではないでしょうか。

 さて、窯を焚いているときは、いつも

「もういいかな、あとちょっとかな」

と迷います。

窯には、ちょうどいいときがあって、足りないと生焼け、過ぎると焼きすぎです。

どちらも売り物になりません。

 焼き加減は、実はちっと危ないところに入り込んだとろこがいいんです。

果物の熟れ加減でも

「ちょっと危ないかな」

というくらいが美味しい場合がありますよね。

ですが、窯の中は1300度を超えていますし、中は真っ白で何も見えません。

本当に判断がつかないです。

そうなると、結局は祈るしかなくなります。

そこで誰に祈るかといいますと、面白いもので死んだじいさんたちに祈るんです。

そして

「じいちゃん、もういいかな」

と聞きます。

すると、じいさんが出てきて

「うん、もうよかが」

と必ず言います。

それはきっと、私の心の声なんでしょうけどね。

そのとき、いつも思うんです。

「あぁ、これは自分の仕事なんだけど、自分の仕事じゃない。

多分、自分たちの仕事だ」と。

 「自分たち」

というのは、もちろん 一緒に仕事をしている工場のみんなという意味もありますが、それだけではありません。

私だけじゃなくて、私の親父、じいさん、曾じいさん、あるいは日本に来る前の人たち、全部含めてです。

 とにかく、私につながって来たいろんな人たちが、木偶(でく)のような私を動かしているんだと思います。

そういった意味で、みんなの仕事だとつくづく思うんです。