「親鸞聖人の他力思想」1月(前期)

そこで、浄土真宗の宗教儀式とは何かということを、ここで尋ねてみたいと思います。

浄土教全体に共通する宗教儀礼は

「五念門行」

といわれる行を成すことです。

五念門行というのは、お釈迦さまが説かれている浄土の教えに信順して、その浄土に生まれるために行う五つの行ですが、お釈迦さまの説かれた浄土の教えにしたがうと、その行為が五つに分かれるのです。

第一が礼拝、第二が讃嘆、第三が作願、第四が観察、第五が廻向です。

礼拝とは阿弥陀仏に帰命すること、阿弥陀仏に自分自身の全てを任せることです。

阿弥陀仏に帰依し、阿弥陀仏の世界が私の帰り行く道だと念じる心が、頭を下げて礼拝している姿になります。

讃嘆とは、南無阿弥陀仏の仏名を称えることです。

作願とは、阿弥陀仏の浄土に往生したいと願う心です。

観察とは、阿弥陀仏の教えを聞き、信じていくことです。

阿弥陀仏の本尊の前で手を合わせ、南無阿弥陀仏を称え、頭を下げ、阿弥陀仏の浄土が私の全てであると念じるのが、礼拝と讃嘆と作願です。

そうしますと、当然私たちは阿弥陀仏に向かって手を合わせるのか、なぜ南無阿弥陀仏なのか、なぜ私にとって浄土が全てなのか、ということがここで問題になります。

その意味を聞き続けることが観察だと考えれば良いと思われます。

そうしますと、私たちの浄土教の宗教儀礼というのは、阿弥陀仏に手を合わせ、頭を下げて、南無阿弥陀仏と称え、阿弥陀仏を信じる。

そして、その意味は何かということを問い続ける。

問い続けた結果、まさに自分の全てが南無阿弥陀仏だけだとわかる。

阿弥陀仏以外に、自分の救われる道はないということが、自分の全体で明らかになる。

これが信じるということになるのです。

つまり、何か訳のわからないものを信じるのではなく、自分の宗教的行為の意義が確信される。

これ以外に私の道はないということがはっきりする、それが信じるということだといえます。