『迷うことも 悩むことも 生きている証』

張本勲氏の持つ日本プロ野球最多安打記録3085安打を抜き、日本人選手では最多の日米通算3086安打をマークした大リーグマリナーズのイチロー選手。

これまでに、数々の偉大な記録の数々を打ち立ててきたことももちろんですが、野球に取り組む姿勢や、発する言葉の端々から垣間見られるイチロー選手の人間性というのもまた、多くの人々を魅了しているように思われます。

「順風満帆」

な人生は、誰もが望むところです。

しかしながら、自分にとって良いときほど、思いのままに物事が進むときほど、私たちは本来の有り方を見失いがちなものです。

いざ悩んだり、苦しいことが訪れると、

「自分ばかりが何故?」

と、調子の良いときには思ってもみなかったことでいろいろと愚痴もこぼれ、良かった頃の自分しか見えていない私の姿が知らされます。

イチロー選手も不振の時ほど、これが本来の自分なんだという自覚を強く持ち、だからこそプロ選手として更なる練習に取り組むのだそうです。

 仏教では、悩み苦しむ私たちの有り様を

「無明」

という言葉で表しています。

明かりが無く、まさしく真っ暗闇の中をただただ手さぐりさまようようにしか生きていくことのできない私たちの姿を言い当てた言葉です。

だからこそ、ろうそくの灯りで表されるように、そのような私たちへの

「道しるべ」

として、仏さまの教えが煌々と、私の行き先を、私の姿を照らしていてくださるのです。

悩み苦しみから逃げ惑うのではなく、良いときも悪いときも、しっかりと自分自身と向き合うことのできる私であるかどうか、日頃から心がけたい大切なことではないかと思います。

 仏教の出発点は、人々は何故、老い、病み、そしてそれらに対しいつまでも人は苦しまなければならないのかという、お釈迦さまご自身の

「問い」

から始まりました。

私たちの生活のうえからも、問いを持つということ。

また、悩みや、辛い経験を通してこそ気づかされ、見えてくるもの。

つまりは、私の上に起こる様々な

「縁」

によって、それらを自分の物差しで判断せず、その一つひとつを生きている証として捉えていくことは、私の人生をより深めてくれているのではないでしょうか。

ついつい愚痴もこぼれる私たちではありますが、仏さまと向き合う中で、その愚痴を、愚痴であったと知らされていくことこそ、尊いことではないかと感じています。