『どうして「お彼岸」にお寺まいりをするのですか?』

 いきなり

「お彼岸ってどんな日?」

とたずねられると、思わず返答につまってしまうことってありませんか。

中には自信満々で

「お墓参りをする日のこと」

とおっしゃる方もいたりします。

この時期になると、何気なく口にしている

「彼岸」

という言葉も、意味をたずねられると案外

「答えられない」

という人も多いのではないでしょうか?

 

「彼岸」

とは、読んで字のごとく

「彼の岸」

のことです。

これは煩悩でよごれきった

「此岸(しがん/この世)」

に対する言葉で、清らかなお浄土の世界を指し示す言葉です。

親鸞聖人が七高僧としてあおがれた善導大師の

「観経疏」

という書物の中に

「その日、正東より出でて、直に西に没すればなり。

弥陀の仏国は日に没するにありたり」

とあります。

お彼岸には太陽が真東から昇り、真西に没することから、西方十万億土にあるという極楽浄土を偲ぶという習慣が我が国に古くから定着してきました。

この行事は日本以外にはどこにもない仏教行事だそうで、古くは平安時代からすでに行われていたと言われています。

「観察(かんそう)」

という行法があります。

これは真西に沈む太陽の彼方にあるお浄土を、心をこらして観じようとする行のことです。

これを受けて、お彼岸の日中と前後の三日を含めた七日間は、お浄土をしのぶ

「仏教週間」

として、日本人の生活に定着してきたわけです。

お彼岸にお墓参りをすることは、そういう清らかなお浄土に往生されたご先祖や亡き方を偲んで行われるようになったあり方と考えられます。

 ではなぜお彼岸にお墓参りだけでなく、お寺参りをするのでしょうか。

このようなお彼岸のいわれにちなんで、お彼岸には浄土真宗のどのお寺でも仏さまのお徳と仏国土をたたえる彼岸会という法要がつとめられます。

お寺参りをし、先祖や亡き方を偲び、感謝することによって、阿弥陀如来への報恩感謝を捧げているのです。

お彼岸の意味にちなんで、先祖や亡き身近な方に感謝し、お寺参りをすることで、浄土をしのぶ尊いご縁にしていきたいものですね。