『怖いのは 自分を省みる こころを失うこと』

9月の声を聞いてもなお残暑が厳しく、空が重くのしかかり途切れのない雨が降り出します。

この頃の雨を秋霖(しゅうりん)と言いますが、よく言ったもので雨の中に迷いこんだようで一層のけだるさを感じます。

やがて訪れた雨上がりに外に出ると、どこからともなく金木犀(きんもくせい)の香がほのかに漂ってきます。

車で足をのばすと、長雨の終わりを待ちわびた彼岸花がスクッと真っ赤に燃え立つ姿に出会います。

子どもの頃、この花の名を

「葉見ず花見ず」

と母から聞いたことがあります。

葉の時期と花の時期が別々で、一つの身でありながら、お互いにお互いの姿を知らないのです。

うっかりすると私自身が

「身体を見ていのちを見ず」

の生活の繰り返しになってはいないでしょぅか。

「10年一昔」

という言葉がありますが、今日では2〜3年サイクルで、次々と新しいものが登場してきます。

携帯電話に代表されるように、その進化はめまぐるしく、物事をゆっくり考えるということが出来なくなってきています。

時代に乗り遅れまいと、外側ばかりに眼を凝らし、気がつけば大きな流れに飲み込まれているのが現状です。

人としてあるべき

「こころ」、

自分自身を省みる

「こころ」

を、あなたはどこに置き忘れてはいませんか?

めまぐるしい時代を生きるお互いであればこそ、人間本来が持つ

「こころの響き」

を共に感じ合いながら、生きることが大切なのではないのでしょうか?