「いのちと向き合う」(上旬)人間は「死」がなければ、生きる気力もなくなる

======ご講師紹介======

福永秀敏さん(国立病院機構南九州病院院長)

☆演題「いのちと向き合う」

ご講師は、国立病院機構南九州病院院長の福永秀敏さんです。

昭和22年、鹿児島県南九州市生まれ。

昭和47年に鹿児島大学医学部を卒業後、神経内科に入局。

昭和55年から3年間、アメリカで研究に従事され、筋無力症候群の病態を世界で初めて明らかにされました。

昭和59年から国立療養所南九州病院に出向し、平成10年から病院長をお務めです。

この間、病院運営上問題となったことの解決のために、難病、筋ジストロフィー医療、在宅医療、ボランティアの組織化、医療安全対策などに取り組まれました。

また人間とのふれあい、対話によってその人が持つ問題に新しい意味を発生させ、解決していくという治療法を実践し、患者との強い信頼関係を築いておられます。

著書は『難病と生きる』『病む人に学ぶ』『早起き院長のてげてげ通信』など多数。

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例えば、突然にガンの告知をされたとします。

あるいはガンになって、いろんな化学療法や放射線療法、もちろん手術も含めて、さまざまな対処をしても、あまりうまくいかない。

治らないというような説明を受けたとしましょう。

もしそうなったら、ガンの患者だという事実はなかなか受けいれがたいことだと思います。

そんなとき、人はそれぞれ、どんな身の処し方をして現実を受けいれていくのでしょうか。

僕自身はガンになった経験がないので、これはやっぱりなった人にしか分かりません。

そこで、その方法を見ていくにあたり、僕にとってとても印象に残っている患者さんを何人か紹介していきたいと思います。

結論から言うと、やはり何かに打ち込んで一生懸命に生きるということが、その現実を克服し、かつ元気になる方法だと思います。

それと、世の中は人間の思い通りにはならない訳で、ずっと元気でいられるような人はいません。

そのことで逆に、人間が病気とか死を見つめたときになって、生きる勇気というのか、生の尊さというものが分かってくるのではないかと思うんです。

例えば、医者で作家をしている有名な人に加賀乙彦さんという方がいますが、その人の書かれた本で面白いと思ったことがあります。

なんでも死刑囚と無期懲役囚の人を50人ずつ、それぞれ調査を行ったそうです。

調査の結果、死刑囚の人たちはとても元気で活発だということが明らかになったそうです。

僕自身が直接目の当たりにした訳ではないんですが、朝から晩まで、一生懸命ソフトボールをしたり何かに打ち込んだりして楽しそうなんだそうです。

だいたい7時30分から8時30分の間くらいが、死刑執行の電話が来る時間で、その時間帯だけはさすがに気分が変わるらしいんですが、それ以外ではみんな元気がいいということです。

ところが、無期懲役の人たちの所に行くと、そこでは死刑がないかわりに、みんな何となく活力がありません。

誰もが無気力で、何もせずにだらっとしているらしいんです。

何を言いたいかというと、

「死」

というものがなければ、人間はそういう風に、生きる気力さえもなくなるんだということです。

このようなことが書かれていた加賀さんの本に、僕は

「なるほど」

と思ったことでした。

他にも有名星野富弘さんも

「いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」

と書いておられます。

つまり人間は

「死」

を見つめたときに、初めて生きる気持ちというか、生に対する意識も変わってくるんだということがいえる訳です。

それから、神経難病の患者さんを見ていますと、人間の幸せ感というのは、それぞれ違うというのがよく分かります。

どんな状態でも全部が不幸だというような人はいないんです。

筋ジス病棟とか、そういう所に視察に来ると、来た人はよく

「かわいそうだな」

ということを言うんですが、決して彼らはかわいそうではないんです。

けっこう幸せ感に満ちているんです。

患者さんが

「人間に生まれてよかって、生きてよかった」

と思う瞬間を物語として作っていくこと、それが僕たちの役目なんだと思っています。

そして懸命に

「今」

という瞬間を生きることが、死の不安への対応になるんだと思います。

南日本新聞の人がうちの病院の緩和ケア病棟を取材して書いた言葉に

「懸命に生きる。

支えられて心の平穏が得られるということに尽きるような気がします」

というのがありました。

僕は、いい言葉だと思います。