『開発』

開発という言葉は

「かいほつ」

と読んで、如来を信じる心が起こること、真実の智慧が起こること等を表す仏教語です。

昔、お釈迦さまの教団に、シュリハンドクという仏弟子がいました。

彼は、自分の名前も覚えられないほど愚かでした。

だからお釈迦さまの教えなど体得できるはずはないと、彼は自分の愚かさを嘆いていました。

そのシュリハンドクに、お釈迦さまは一本のホウキを与え

「塵を払わん、垢を除かん」

と唱えながら、僧院の掃除をすることを教えられました。

「塵を払わん、垢を除かん」。

愚かなシュリハンドクは、何度も忘れそうになりながら、お釈迦さまに教えられた通り、その言葉を唱え、何年も掃除を続けました。

やがて彼の身体にしみこんだその言葉は、塵とは煩悩の塵であり、垢とは無明(真理に暗いこと)の垢であることを、シュリハンドクに教えたのです。

お釈迦さまの教えによって愚に徹し謙虚に徹したシュリハンドクは、自分に執着し自分を立てようとする無明の闇を破って、真実を見抜く智慧を開発し、立派な仏弟子の一人となりました。

インドの大地はホコリっぽく、風がひと吹きすれば、掃除など何の役にもたちません。

愚直なシュリハンドクの徒労とも思える生活は、真実を見抜く智慧の開発によって、全体が輝くような意味を与えられたのです。

人間生活のすべてが真実と相即していることを見抜くのが、仏教の智見です。

要するに、人生の全てが十分で満足なものであるといえる世界を開くのが真実であり、それを見抜く智慧を、シュリハンドクはお釈迦さまの教えによって開発されたのです。

科学技術の開発によって環境が整備され、お釈迦さまの時代よりもずっと豊かに見える生活に、何か不安を感じ、十分に満ち足りたものを感じられない現代の人々にとって、開発(かいはつ)と開発(かいほつ)、はたして本当に大切なのはどちらなのでしょうか。