『精進くらべずなまけずコツコツと』

一般に

「精進」

というと

「精進料理」

のことを思い浮かべますが、この言葉はお釈迦さまが初めて行った説法とされている

「八正道」

という教えの中で用いられた言葉で、

「正精進」

という言葉で説かれています。

この「八正道」

とは、私たちが歩むべき八つの道を示されもので

「正精進」の

「正」とは

「正しい」、

「精進」とは

「努力」

を意味しますから、

「正精進」とは

「正しい努力」

と解釈することができます。

では、この

「正しい努力」

とは具体的にどのような努力なのでしょうか。

「八正道」

で説かれている

「正」

とは、結果や損得を優先してしまうような私たちの身勝手な判断基準による正しさではなく、お釈迦さまの教えをよりどころとした偏りのない正しさのことをいいます。

したがって、

「正精進」

とは、結果や損得に振り回される必要のない自分を、その教えを通して見つけ出していく歩みのことだと理解することが出来ます。

ところで、私たちは自分が何か善いことをしたと思った時には、やはり他人からそれを認めてほしいとか、褒めてもらいたいというような気持ちがおこります。

そのため、そのことを無意識の内に他人に押しつけたり、主張したりしてしまうことがあります。

そのため、自分の努力や成果が期待通りに他人に認められなかったりすると、そのことでいろいろな心の迷いをおこしたり、時には他人を傷つけたりすることさえあったりします。

このように、どこまでも自分にとらわれる心を仏教では

「我執(がしゅう)」

と言います。

そこで、この我執をいかにして超えて行くかということが、また仏教の中心的な歩みともなる訳です。

確かに、自らの目標に向かって地道な努力を続けることはとても大切なことです。

ところが、私たちはその努力が報われないと、やはり空しい気持ちに心が覆われてしまい、気分が滅入ってしまったりします。

それは、他人との比較の中でその成果を確かめようとするからではないでしょうか。

精進という言葉が私たちに語りかけているのは、結果によってその努力の成否が定まるのではなく、正しいことに向かって歩み続けることの大切さなのではないでしょうか。

まさに、くらべず、なまけず、コツコツと積み重ねていくことこそ、とても尊いことなのだと思います。