時折、これまでの人生を振り返ってみて

時折、これまでの人生を振り返ってみて

「あそこからやり直せたら…」

と思ったりすることとか、ありませんか。

でも、ホントにやり直すとなったら、それはそれでけっこう大変だと思います。

なぜなら、たとえやり直したかったことを今度は上手くできたとしても、これまで満足していたことが、また今度も同じように必ずしも上手く行くとは限らないからです。

思えば、私たちは成功だけを評価したり喜んだりしていますが、その一方で失敗したことは運命だったとか、不幸だったとかいう言葉で切り捨ててしまおうとすることがあります。

「運命」

というのは、私がどうあがこうと、あるいは何もしなくても、どこかの誰かの書いたあら筋のままに私の人生が展開していくということでしょうか。

そんな主体性のない人生に、充足感を得られますか。

考えてみると、私たちはむしろ失敗した時にこそ、多くのことを学ぶことが出来ていたりするのではないでしょうか。

世界中のどこを探しても、完璧な人間なんていません。

誰もが、多くの失敗を重ねながら、そのことをバネにして生きているのです。

そうすると、大切なことは失敗を恐れて何もしないでいるよりもたとえ失敗したとしても、いろんなことに積極的にチャレンジして行くことではないでしょうか。

また、仏教では私たちの人生は自由だと教えます。

この自由とはしたい放題ということではなく、選択の自由を意味しています。

つまり、私たちは自分の人生のいろいろなことを自らが選び取る自由を持ち、同時に結果は全て自らが引き受けていくことの大切さが説かれています。

たった一回きりの人生じゃありませんか。

この人生の主人公は私なんですから

「たとえ上手く行っても行かなくても、選び取った結果は全て自分が引き受けていくんだ」

という勇気を持ちましょうよ。

同じ上手くいかないことがあったとしても、それを誰かのせいにしてグチをこぼして終わるよりも、失敗の中から学んでいけるような生き方をしたいものです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。