「わが心を育てる」(上旬)心が死んでいる

======ご講師紹介======

信楽峻麿さん(龍谷大学名誉教授)

☆演題 「わが心を育てる」

ご講師は、元龍谷大学学長の信楽峻麿さんです。

大正十五(昭和元)年広島生まれ。

龍谷大学卒業後、昭和三十三年龍谷大学文学部に奉職。

昭和四十五年に教授となられ、昭和六十四(平成元)年に龍谷大学学長に就任、平成七年の定年退職まで奉職されました。

現在は、龍谷大学名誉教授。

また仏教伝道協会理事長として教化伝道にご精励しておられます。

著書も「宗教と現代社会」他、多数出版。

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この間、京都で聞いたある老人ホームの話です。

ある会社のお偉いさんのお母さんが、その老人ホームにいらっしゃったんです。

ところが急に容態が悪くなって、お亡くなりになった。

所長さんは、すぐ息子さんに電話して

「あなたのお母さんが亡くなった。

すぐおいでください」と。

すると、電話の向こうの息子さんが言ったそうです。

「急に言われても、こっちにも都合がある」と。

いろいろとやり取りをしたけれども話にならない。

結局息子さんは何と言ったか。

「すまんけど所長さん、そっちで葬式をしていてくれ」と。

所長さんもしぶしぶ受けました。

火葬場に行って火葬し、遺骨を自分の机の上に置いて、また電話した。

「あんたの言う通り、お母さんを火葬しました。

しかし、ここはホームだから、お骨を目に付くところには置けない。

けれども、粗末に出来ないから、かぐに取りに来てくれ」と。

息子さんは

「お世話になりました。

すぐに取りに行きます」

と返事したんですが、いつまでたっても取りに来ない。

所長さんはついにしびれを切らして、大きな声で電話したんです。

「あんた、なんのつもりか。

うちもこれ以上預る訳にはいかん。

すぐおいで」

と、言葉を厳しくして言ったら、息子さんが言ったそうです。

「気にはかかっとったけど、なんせ忙しい」と。

「忙しい」

という字の左は立心べん、心が立っている。

そして亡という字を続けたんです。

心が死んでいる、心がないということですよ。

そして

「すまんけれども、所長さん、遺骨を宅急便で送ってくれ」と。

今はこういう時代になっているんですよ。

だいたい日本の文化というのは、心を非常に大事にして創った文化なんです。

西洋の文化に比べたら一番よくわかります。

では、心はどこにあるのか。

西洋では、普通心というとハートという意味になります。

これは心臓のことです。

また、英語でスピリットという言葉があります。

これは精神と訳します。

西洋人に

「これはどこにあるか」

と聞くと、だいたい頭を押さえます。

西洋人というのは、いのちとか心というものが頭の中にあると思っています。

これがヨーロッパの考え方なんです。

だから、交通事故とかで脳が死んだら、心臓が動いていても息をしていても

「もう死んだ」

というんです。

でも日本人は、そうはいきません。

日本人は頭の中にいのちがあるとは考えない、心があるとは考えない。