『一番怖い鬼さんは 私の中におりました』

最近はテレビニュースを見ておりましても、なかなか楽しいニュースはないものです。

世界中でおこるテロ事件、そして親殺しや子殺し事件など話題には事欠きません。

悪い人は、世の中になんと多いことでしょう。

私など自慢ではありませんが、今まで万引きどころか人を殴ったこともなく

「いい人」

と言われながら生きてまいりました。

そんな私には、人を殺していくなどといったことがどうしてできるのか不思議でなりません。

しかし、親鸞聖人はおっしゃいます。

「悪人こそが阿弥陀仏の本願による救済の主正の根機である」と。

ますます、私の混迷は深まるばかりです。

ただでさえ、罪を犯す人の気が知れないのに、親鸞聖人は

「そんな悪人こそが救われるべきものだ」

とおっしゃる。

どうでしょうか。

私も考えさせていただきました。

そして少しだけ気づかせていただいたことがあります。

それは、今まで罪を犯したことがないと自慢していた私ですが、その

「罪」

とは私の尺度で考えた罪だったのではないかということです。

つまり、私ひとりが罪を犯していないと思っていただけで、他人からみた私は悪人だったのかも知れません。

私は、善人面しただけの悪人ではなかったのかということです。

一番怖い鬼さんとは、私の中にある善人さんのことではないでしょうか。

善人さんは、私の悪人さんを隠してしまいます。

隠れた悪人さんは、顔を出さず悪事を働きます。

なんと恐ろしいことでしょう。

表に出てきた悪人ばかりを責め立てて、私の悪人さんを隠して生きる私のどこが善人なのでしょうか。

私の中の鬼さんに、新年のあいさつ忘れておりました。