親鸞聖人における「真俗二諦」4月(後期)

さて今日、真宗者が問題にしている真俗二諦論は、明治以後に現れた思想です。

この思想の特色は、その当時の人々が自分の論を権威付けるために、覚如上人・存覚上人・蓮如上人の文言を取り入れ、そこに

「真俗二諦」

という言葉を重ねて、近代感覚にかなう、全く新しい真宗の思想を打ち立てたということです。

ところが、その思想が戦後、親鸞聖人の思想にまったく違うものだという厳しい批判を受けるに至りました。

その時、批判者は明治から昭和の、殊に戦時中説かれた真俗二諦の論を批判する際に、その思想の根拠を覚如上人・存覚上人・蓮如上人の上に見出し、これらの方々にあたかも真俗二諦の思想があるかのように批判しました。

けれども、これは明らかな誤りだと言わねばなりません。

明治以後に出された真俗二諦の思想は、親鸞聖人の真俗二諦の思想とは全く異質の思想です。

親鸞聖人は

「末法の世では、仏教が意味する真俗二諦は成り立たない」

と言っておられるのであり、親鸞聖人の念仏思想は、世俗の法と同一の次元で対立するものではありません。

したがって、親鸞聖人は個として、この世間を自由自在に歩むことが可能だったのです。

ところが、覚如上人以後の方々はそうではありませんでした。

真宗教団という、ひとつの世俗の場での念仏者の組織を形成して、その中でこの世を歩もうとされたからです。

この場合、念仏者の生活は、世俗の法と同一の次元で真っ向から対立することになります。

覚如上人・存覚上人・蓮如上人が、念仏者の生活に大きな関心を払わなければならなかったのはそのためで、以後の真宗教団人は念仏思想と共に、国家の法とどうかかわるかということが最大の関心事になるのです。

今日その念仏思想と国家の法との関係を、私たちは

「真俗二諦」

という言葉を通して論じようとしています。

末法の世を、私たちが歴史的現実の中で生きるためには、念仏者が世俗の法とどう関わるかを問わなければ生きることは出来ません。

その生き方は、あらゆる面で多くの過ちを含んでいることはいうまでもありません。

念仏の法門を聞き、精一杯生きながら、どのような時代にどのような過ちを犯すものであるのか、それを知ることが浄土真宗の教団史なのです。

「真俗二諦」

という言葉に惑わされて、間違った角度から覚如上人や蓮如上人の生き方を批判するのではなく、その時代その社会において、真宗者がどう歴史とかかわったかということを、私たちはあきらかにしていくことが大切だといえます。