では、いったい親鸞聖人にとって西方の浄土とは何であったのでしょうか。
第十九願の自力念仏者は懈慢界に生まれ、第二十願の自力念仏者は疑城胎宮に往生するといわれます。
しかしながら、第十九願と第二十願の教えだとされる
『観無量寿経』と
『阿弥陀経』には、
懈慢界も疑城胎宮も何ら説かれてはいません。
そこに明かされる浄土の教えは『無量寿経』に説かれる西方の浄土と全く重なっています。
そしてその浄土を、浄土教一般では真の報仏報土だと解しています。
ところで親鸞聖人は、金・銀・瑠璃等の自然の七宝で荘厳される、その西方十万億土の浄土を方便化身土と捉えておられます。
ただし親鸞聖人には
『文類聚鈔』に
「西方不可思議尊」
という帰依の表白があり、また
『教行信証』でも随所で阿弥陀仏の浄土を
「西方」
と存在論的に捉えておられる箇所が散見されます。
またすでに述べたように
「さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずまちまいらせさふらふべし。
」
と手紙に認められ、死後に生まれる浄土が実体的に語られています。
このように、懈慢界や疑城胎宮の問題とは別に、一方では
「仏は無量寿観経の説のごとし。
土は観経の浄土なり。
」
と、その浄土を方便化身土とされながら、他方において、このような西方の浄土に心から帰依しておられる親鸞聖人の姿が見られます。
私たちは、これをいったいどのように理解すればよいのでしょうか。
もし真仏・真土という観点から阿弥陀仏とその浄土を捉えようとすれば、仏は不可思議光如来であり、土は無量光明土ですから、時間論的にあるいは存在論的に方向・時間・形・量等が存在する仏身仏土はすべて方便化身土だといわなくてはなりません。
その意味からすれば、すでに見てきたように、私たち凡夫に触れることのできる真仏・真土は真如からの音声として出現した
「南無阿弥陀仏」
しかありません。
光明無量・寿命無量のただ一つの相としての一声の称名が、唯一の真仏真土になってしまいます。
したがって親鸞聖人の思想からすれば、西方の十劫成仏の阿弥陀仏と、真如法性・無為法身としての南無阿弥陀仏を、ともに真仏真土だとする義は同時には成り立たないことになります。
やはり前者は方便化身土であり、後者が真仏真土だとしなければなりません。
親鸞聖人は、決して西方に荘厳される阿弥陀仏の浄土を一方で方便化身土だと信じながら、他方においてその浄土を真仏土だと信じられたのではないのです。
二心がないとされる真実信心にはそのようなことは起こりえないのであって、同一の
「信」
でもしそのような心を同時に成立せしめようとすれば、それこそ自己分裂を起こしかえって疑惑心に堕してしまうことになります