小説 親鸞・乱国篇 第一の声 10月(6)

「雨は、やんだかよ」

「やんだらしいぞ」どこかで、誰か、つぶやいた。

兵戦で、半焼けになったまま、建ち腐れになっている巨(おお)きな伽藍(がらん)である。

そこの山門へ駈け込んで雨宿りをしていた砂金売り吉次は、そっと首を出してみた。

町は、もう、たそがれている。

濡れた屋根の石が、夕(ゆう)星(ずつ)の光に魚みたいに蒼く光る。

どこかで、ぱちぱちと火のハゼる音がするのだった。

赤い火光が、山門の裏からさしてくる。

そこから、がやがやと、

「阿(あ)女(ま)、何を、うまそうに、さっきから、ぴちゃぴちゃと、ねぶっているのだ、俺にも、分け前をよこせ」

「嫌だよう」

「しみったれめ、よこさぬか」

「鶏の骨だに、分けようがないだよ。なあ、菰(こも)僧(そう)さん」

「鶏を盗んできて、この阿女め一人で腹を肥やしてくさる」

「その、味噌餅くれれば、鶏の片股をくれてやるだ」

「ふざけるな」

「だって、おら、子持ちだから。他人よりは、腹がすくのは、当たりまえだに。

……あれっ、嫌だっていうに、傀儡師(くぐつし)さんよ、その、鶏の骨、とり返してくんな」

餓鬼のように何か争っているのである。

覗いてみると、女のお菰だの、業病の乞食だの、尺八を持った骸骨みたいな菰僧だの、傀儡師だの、年老いた顔に白いものを塗っている辻君だの、何して食べ何しに生きているのやら分からない浮浪人の徒が、仁王のいない仁王門の一廓を領して、火を焚いたり着物を干したり、寝そべったり、物を食ったり、宛として、一つの餓鬼国を作っている。

院の御所とか、六波羅の館とかまた平家の門葉の邸宅には、夜となれば月、昼となれば花や紅葉、催馬楽(さいばら)の管弦の音に、美酒と、恋歌の女性が、平安の夢をおって、戦いと戦いとの一瞬の間を、あわただしく、享楽しているのであったが、一皮剥いた京洛(みやこ)の内部には、こうした、飢えと飢えとの寄り合い家族と、家なき浪人が、空寺、神社、辻堂、石垣、およそ屋根と壁の形さえあれば――そして住む主さえいなければ――巣を作って、虫けらのごとく、獣のごとく、生きていた。

(噂より、ひどい)吉次は、異臭に、顔をひそめながら、うたれて、見ていた。

(――五穀にも、風土にも、また唐土の文化にも恵まれぬ奥州(みちのく)でさえ、こんな図はない)

憮然として、吉次は、見ていた。

まざまざと、悪政の皮膚病がここに膿を出しているのである。

平家の門閥が、民を顧みるいとまもなく、民の衣食を奪って、享楽の油に燃やし、自己の栄耀にのみ汲々としているさまが、ここに立てば、眼にもわかる。

(これでいいのか)天に問いたい気がした。

(どうかしなければならない。――神の力でも、仏の力でも駄目だ。

兵戦は、神をも、仏をも、焼いてしまったではないか。――人の世を正しく統べるものは、人の力だ。

真実の人間だ。

ほんとうの人間こそ、今の時世に、待たれるものだ)

そう考えて、彼は、鞍馬の遮那王に近づきつつある自身の使命に重大な任務と、張り合いを感じた。

 

「やいっ、誰だ」すると、一人の乞食が、彼を見つけて、咎(とが)めた。