「教行信証」の行と信(11月中期)

次に

ここに愚禿釈の親鸞、諸仏如来の真説に信順して、論家・釈家の宗義を披閲す。

広く三経の光沢を蒙りて、ことに一心の華文を開く

という文に注意してみます。

ここで

「一心の華文」

とは、何かが問題になります。

「信巻」

の一つの中心問題は、三一問答だと言われています。

三一とは、三心と一心の関係を意味します。

その三心と一心の関係ということですが、周知のように第十八願で阿弥陀仏は

「至心信楽欲生」

という三つの心を誓われています。

この

「至心信楽欲生」

の三心によって、一切の衆生を往生せしめようと誓っておられるのです。

ところが、天親菩薩は、その本願の心を

『浄土論』で

「世尊我一心帰命尽十方無碍光如来願生安楽国」と

「一心願生」

と、とらえられます。

つまり、天親菩薩は釈尊に対して

「私は阿弥陀仏に帰依しその浄土に生まれたいと一心に願っています」

と、『浄土論』の冒頭で述べられるのです。

そうしますと、本願には三心による往生が誓われているのに、天親菩薩は一心による往生を

『浄土論』

で説いておられますので、この三心と一心の関係は一体どうなるのかが問題となる訳です。

つまり、本願の心と

『浄土論』

の思想は矛盾するかしないかが、親鸞聖人にとって一つの大問題になったのです。

その疑問が

「諸仏如来の真説に信順して、論家・釈家の宗義を披閲す。

広く三経の光沢を蒙りて、ことに一心の華文を開く」

とあるように、釈尊や七高僧の教えによって解決されたというのが

「一心の華文を開く」

という意味で、これが三一問答の結論になります。

すなわち、天親菩薩の一心願生の意味が明らかになったということが、一心の華文を開いたということになるのです。

では、次の文

「一心の華文」

を開いたにもかかわらず、その後に

「しばらく疑問を至してつひに明証を出す」

と述べられるのは、どのようなことなのでしょうか。

それは、一心の華文を開くことが出来たが、その奥に未だ解決できてない疑問が残っていた。

だが、その疑問が今やっと根本的に解決された。

それが

「明証を出す」

という言葉になります。

では、

「しばらく疑問を至した」

というのは、どのようなことだったのかということが、ここで改めて問題になります。

ところで、この点を今までの宗学者はどのように考えていたのでしょうか。

ほとんど例外なく、この

「しばらく疑問を至す」

を三一問答のことだとしているのです。

しかし、それは日本語としての文章の流れから見て、明らかにおかしいといわねばなりません。

なぜなら、もしこの

「しばらく疑問を至して」

が三一問答のことだとすれば、文章的には

「しばらく疑問を至して、ついに一心の華文を開く」

となるはずです。

ところが、親鸞聖人はそのようには述べておられません。

「三一」

の疑問が明らかになった後に、しかも再び

「しばらく疑問を至し」

ておられるからです。

そこで、改めてこの疑問とは何かということが、大きな問題になります。