小説 親鸞・乱国篇 唖の世 11月(2)

 空地が半分以上も占めている六条の延寿院付近は、千種町というのが正しいのであるが、京の者は、源氏町と俗によんだり、また、平家方の雑人(ぞうにん)になると、

「牛糞(うしぐそ)町(まち)」などといった、振るわない門族の果てを、住宅地の呼び名にまで嘲侮(ちょうぶ)することを忘れなかった。

若狭(わかさ)守(のかみ)範(のり)綱(つな)は、そこに住んでいた。

源氏ではないが、院の歌所の寄人(よりゅうど)たちの官舎は、昔からその地域内にあるのだからしかたがなかった。

なぜ、この辺を牛糞町というかというに、人間の住む地域に、

「六条お牛場」というのが割り込んでいて、汚い牛飼い長屋だの、牛小屋だのが、部落みたいに散在している上に、空地には野放しの牛が、白いのだの、斑(ぶち)だの、茶だの、随所に草を食っていて、うっかり歩くと、文字どおり、豊富な牛糞を踏みつけるからであった。

だから、秋になっても、なかなか蠅が減らなかった。

歌人である範綱朝臣は、永く住み馴れた邸(いえ)ではあったが、それでも時々、

(蠅のいないところに住んでみたい――)と、つくづく思うくらいだった。

しかし、保元、平治以来の戦つづきに、歌人などは、まったく、無用の長物と忘れ去られて、ことに、為政者の眼からは、

(歌よみか。

歌よみなら、牛糞町に住ませて置くのが、ちょうどよろしいのだ)と、視(み)られているかのようであった。

生活力のない歌所の歌人(うたよみ)たちは、それに対して、不平の不の字もつぶやけなかった。

「ちっ」範綱は、机をわきに寄せた。

硯(すずり)に、紙に、たかっていた秋の蠅が、彼と共に、うるさく起つ。

「奥所(おく)――」妻をよんで、

「粟(あわ)田口(だぐち)の慈円様へ、久しゅう、ごぶさた申し上げているで、おあずかりの歌の草稿、お届けいたしながら、ご機嫌をうかがってくる」

「きょうは、ご舎弟様が、お見え遊ばしはしませぬか」

「御所の戻りに、寄るとはいうたが……。

よいわ、いずれ、帰りには、日野の有範の邸へ立ち寄るほどに、そこで、会おう」

日野へ立ち寄るというと、彼の妻は、

(またか)というように、微笑んだ。

子のない彼は、弟夫婦の邸に、子が生まれてからというもの、三日に一度は、どうしても、訪れてみねば気がすまないらしかった。

「行ってらっしゃいませ」妻の声のうしろに、籬(まがき)の菊花に眼をやりながら、我が邸(や)の門を出ると、

「やあ、兄上」末弟の宗業(むねなり)朝臣が、ちょうど、門前に来あわせて、

「どこへ、お出かけですか」と、肩をならべた。

※「寄人」=中古、記録所・院文殿などの主(さか)典(ん)で、庶務・執事などの職員。和歌所の職員。