小説 親鸞・かげろう記 12月(9)

七郎は、驚いて、

「まま、待たせられい」

だだっ子の寿童丸を、他の家来たちとともに、無理やりに、輦の上へ、抱いて、押し上げようとする。

「嫌だっ、嫌だっ」

小暴君は、轅へ、足を突っ張って、家来の顔をぽかぽか打ったり、七郎の顔を爪で引っ掻いた。

「離せっ、こらっ、馬鹿っ」

「お待ち遊ばせ。

成田兵衛の若様ともあるものが、さような、泥足になって、人が笑います」

「笑ってもよいわ。

わしは、侍の子だ。

いちどいったことは、後へ退くのはきらいだ。

わしが行って、小賢しい童めの土偶仏(でく)を、蹴砕いて見せるのじゃ。

罰があたるか、あたらぬか、そち達は、見ておれ」

「さような、つまらぬ真似は、するものではございませぬ」

「何が、つまらぬ」

寿童丸は、家来たちの肩と手に支えられながら、足を宙にばたばたさせた。

持てあまして、

「それほど、仰っしゃるなら、やむを得ません、七郎が参りましょう」

「行くか」

「主命なれば――」

「それみい、どうせ、行かねばならぬもの、なぜ早く、わしのいいつけに従わぬのだ」

やっと、小暴君は、輦の中に納まって、けろりという。

「――はやく、奪ってこい」

愚昧(ぐまい)な若君だが、こんな懸け引きは上手である。

七郎は、いくら主人の子でもと、ちょっと小憎く思ったが、泣く子と地頭だった。

「承知いたしました」

気のすすまない足を急がせて、丘の下へ、戻ってきた。

(まだいるかどうか?)むしろ、立ち去っていることを祈りながら、七郎は梅花の樹蔭をのぞいた。

見ると、自身で作った三体の土の御像をそこにすえたまま、あの髫(うない)がみの童子は、合掌したまま、さっきと寸分もたがわぬ姿をそこにじっとさせていた。

虻(あぶ)のかすかな羽うなりも鼓膜にひびくような春昼である。

七郎は跫音(あしおと)をぬすませて、童子のうしろへ近づいた、――近づくにつれて、その童子のくちびるから洩れる念仏の低称が耳にはいった、恐ろしい強兵(つわもの)にでも迫ってゆく時のように、七郎は、脚のつがいが慄(ふる)えてきた。

どうにも、脚がある程度を越えられない気がした。

いっそのことやめて引っ返そうかと惑った。

寿童の呼ぶ声が、おうウいと、彼方で聞こえた。

彼は、主人の邸(やしき)へ帰った後の祟りを考えて眼をつぶった。

(そうだ、人の来ぬ間に!)七郎は、跳びかかった。

無想になって合掌している童子の肩ごしに、むずと手をのばした。

一体の像を左の小脇にかかえた。

そして、もう一体の弥陀如来をつかみかけると、童子は、びっくりしたように起って、

「あれっ?――」

愛らしい叫びをあげた。

そして幼子らしく、手ばなしで、わあっと、泣くのであった。

二つの像をかかえて、もう一体の像を七郎が蹴とばしたせつなである。

「おのれッ、この下司!」

ぐわんと、彼の耳たぶを、烈しい掌のひらが革のように唸って打った。

「あっ――」

耳を抑えながら、七郎は、横にもんどり打った。

仏陀の像は、また一つ彼の手から離れ、粉々になって、元の土にかえった。

※「泣く子と地頭」=「泣く子と地頭には勝てぬ」と続き、こちらに道理があっても、泣きわめく子と、権力をかさにきている人にはかなわないということ。