小説 親鸞・紅玉篇 2月(7)

やがて、玄関のほうで、

「箭四っ、箭四っ」

と呼ぶ声がした。

箭四郎は、曲者の七郎を、裏門からそっと放してやったところだった。

「はいっ」

駈けてゆくと、玄関の式台には、範綱が直垂を改めて立っていた。

「馬をっ――。

急いで」

「はっ」

箭四郎は、厩から馬を曳きだしたが、病気と偽ってひき籠もっている主人が、何でにわかに外出を思い立ったのか、そしてまた、世間の耳目にも憚りはないのかと、ひとりで危惧していた。

「いそげよ」

門の外へ出ると、範綱は、鞍の上から再びいった。

あぶみの側へ寄って、馬と共に駈けながら、箭四郎が、

「お館様」

「なんじゃ」

「世間へ仮病が知れても大事ございませんか。

裏道を通りましょうか」

「それには及ばん」

「して、お行く先は」

「仙洞――」

さては参内であったのかと彼は初めて気がついた。

仙洞というのは、後白河法皇の離宮である院の別名なのである。

六条からそう遠くはない。

しかし本道の五条大橋を越えてゆくと、橋の東に小松殿の薔薇園があり、その向い側には入道相国の六波羅の北門ずあって、その間を往来するのはいつも何となく小気味がよくないし、肩身の狭い気がするのであった。

わけても、今日は主人が何かつよい決心を眉宇(びう)にもって、にわかに参内するらしい途中でもあるので、箭四郎はいそげといわれながら、道を迂回して、三条の磧(かわら)から仮橋を越えて、十禅師の坂へかかった。

「箭四」

「はい」

「きょうは、たしか二日じゃの」

「六月二日でございます」

「…………」

範綱は、時刻を考えるように、陽を仰いだ。

陽はずっと加茂川の末のほうへ傾いている」

「駈けるぞ」

一鞭あてると、箭四郎は坂道にとり残された。

やっと、追いついてみると、もう仙洞御所の東門に、主人の姿はそこにはなかった。

範綱は、院の中門へ、駈けるように急いで行った。

そして、

「あっ……」

と、立ち(たち)竦(すく)んでいる。

北の中門の外に、お微行(しのび)の鳳輦(くるま)が横づけになっているではないか。

法皇葉、ひそかにお出御(でまし)になろうとしている。

いずこへ?それは範綱には分かっていた。

六月二日の参会というのことは、いつか多田蔵人の口から聞いていたのである。

それを思い出したれば急いで来たのであるが、ここへ来るまでは、よもや、法皇がいつかのお言葉をひるがえして、新大納言や北面の不平武者にそそのかされて、そんな会合へ敢てお微行(しのび)をなさろうなどとは、十中の八、九まで、ないことと信じていた。

けれど、事実は、範綱の正直な考え方とはあべこべだった。

やがて、薄暮のころになると、武者所の人々がひそかに支度をととのえて、法皇の出御をうながした。

範綱は、樹蔭に身をひそめて、そこの動静を、じっと窺っていた。