親鸞・紅玉篇 3月(6) 炎の辻

壁は、墨汁(すみ)によごれていた。

四側(よかわ)に並んだ机には、約二十人ほどの学童が、強いて姿勢を正して、師の講義を聞いていた。

「孝経」

であった。

日野民部の講義が終わると、

「先生……」

と、次の部屋に待っていた学僕が、側へすすんでいった。

「ただ今、御入門したいと申す児童が、二人の隨身を供に連れて、お玄関に控えておりまするが」

「そうか。通しておくがよい。――しかし何家(どこ)のお子だ」

「まだ伺っておりませぬ」

学僕が去る間に、児童たちは、もう机の上の書物を、あわただしく仕舞って、立ち騒いでいた。

「これっ」

民部は叱って、

「誰が、立てといいましたか、まだ、書物を仕舞ってはなりませぬ。今、先生が、読み解いた一節を、声をそろえて、復習するのじゃ」

すぐ静粛になる。

児童たちは、書(はん)を両手にもって、孝経の一節を、高らかに、読んだ。

「よろしい」

ばたばたと、また騒ぎかける。

「――よろしいが、まだ、学課はおしまいではありませぬぞ。硯(すずり)に、水をおいれなさい、そして、草紙を出す」

命じられるままに、手習(てならい)が始まった。

よしと見て、民部は、ほかの室へ立って行った。

その室には、何もなかった。

儒学者の家らしい唐机が一脚と、書物の箱が、隅にあるだけである。

そこの板縁を後ろにして、一人の少年が、さっきから待たされて控えていた。

民部は、そこへ何気なく入って行ったが、足をふみ入れるとすぐに、はっと思った。

この学舎には、堀河、京極、五条、烏丸などの、権門の子をはじめ、下は六、七歳から十五、六歳の子弟を預かっていて、民部は今日までずいぶん多くの少年を手にかけてきているが、まだこんな感じを初対面の時にうけた例(ため)しはなかった。

【凡(ただ)の子ではない】すぐ、感じたのである。

永年の体験で、教育者として直感したのではあるが、べつに、その少年の容貌(かおだち)とか、身装(みなり)とかに変った点があるわけではない。

少年は、手を膝に重ねて、入ってきた民部を、ちらと見上げている。

そして、すこし後へ退がって両手をつかえた。

良家の子ならば、これくらい作法は、どこの子弟でも仕込まれている。

だのに、民部は、そのあたりまえの動作のうちに、やはり感じるのであった。

【はてな?……何家の子だろうか。これは、鳳凰(ほうおう)の雛(ひな)だ】そう思いながら、

「入門したいというのは、そこもとか」

「はい」

すずやかな返辞である。

「お年は」

「八歳(やつ)になりました」

「おん名は」

「十八公麿(まつまろ)と申します」

「お父君は、武家か」

「いいえ」

「どなたで、何といわるる」

「六条源氏町の藤家範綱の子でございます」

「や、範綱うじの、御猶子(ごゆうし)か。……ウーム、道理で」