親鸞・紅玉篇 3月(7) 炎の辻

自分の眼が間違っていなかったことに、民部は、膝を打って、

「道理で――」

と、何度も、うなずいた。

「六条どのは、和学、歌学の方では、当代での指折りであある。

その御猶子とあれば、なるほど、あらそえぬ」

「お父上か、叔父様が、共に参って、おねがい申すところですが、学問の徒になるには、自分で参って、ひとりで、おねがいするのが、ほんとだと教えられて、こうして参りました」

「お気持が、ようわかる」

「先生、どうか、私を、今日から儒学のお弟子にしてくださりませ」

「お家庭(うち)にいるあいだは何を学んでおられたか」

「お父上から和歌を、また、叔父様唐、書道や、やさしい和学を、教えていただきました」

「よろしい、明日から、お通いなさい。

民部が、学び得たかぎりの学問を、おつたえいたしましょう」

「ありがとうございます」

十八公麿の頬には、希望のいろが、紅(あか)くかがやいた。

やはり、少年である。

そう聞くと、いそいそと、玄関へ駈けて、

「介」

と、弾んで呼んだ。

侍従介と、箭四郎は、式台のすみに、うずくまっていたが、

「お、和子様、どうなされました」

「おゆるしを受けた」

「それは!」

と、二人とも胸を伸ばして、よろこんだ。

「上出来でございました。

はやく、お父君にも、このことを」

穿物(はきもの)をそろえて、塗の剥げた貧しい輦(くるま)の轅(ながえ)を向ける。

彼が、それに乗ると、学舎の窓から、

「やあ、どこの子だ」

と、師の見えない隙をぬすんで暴れていた悪童たちが、墨だらけな顔や、悪戯ッぽい眼を外へのぞかせて、

「貧乏車」

「ぼろ車」

「なんぼ、くるくる廻っても」

「貧乏車は、ぼろ車」

と、謡(うた)って、囃(はや)した。

箭四郎は、窓のそばへ駈けて、

「雀ッ。何をいうぞ」

「わっ」

と、笑いながら、いちどに、窓の首は引っ込んだ。

「箭四、大人気ないぞ、行こう」

介は、牛の手綱をとった。

「わしが曳く」

と、箭四郎は手綱を彼の手から取って、まだ、腹だたしげに、窓をふりかえりながら、

「こんな、悪さのいる学舎へ、大事に和子様をかよわせても、よいものか」

「そりも、ご修業だ」

「朱にまじわればということもあるではないか――」

「染まるようなご素質であったら、それは、ご素質がわるいのじゃ」

「いまいましい、童(わっぱ)どもだ」

「だが、貧乏車とは、童も嘘は歌っていない。

このお粗末な車を見て、たれが、貧乏ではないといおうか。

……ああ、なんぼ、くるくる廻っても、貧乏車は、ぼろ車。

世の中が回らぬうちは、どうにもならん」

牛飼も、雑色も持たない古車は、轍(わだち)の音さえも、がたことと、道の凸凹(でこぼこ)を揺れてゆく。