小説 親鸞・花は夜風に乗って 4月(8)

古びた青銅瓦の山門を仰いで、

「ここでよい」

介は、牛飼に、車を止めさせた。

そして、間近う、

「お館さま。青蓮院でございまする」

と、箱の廉(す)にささやいた。

轅(ながえ)には、鷺脚(きざあし)の榻(とう)を据え、前すだれの下には、沓台(くつだい)を置く。

「先へ」

「はい」

と、十八公麿が、片脚をそっと下ろした。

藤むらさきの袴に、うす紅梅の袖を垂れる。

介は、抱き下ろして、美しい塗靴をその足にはかせた。

家計のくるしい養父の範綱が、きょうばかりは、車も飾らせ、十八公麿の小袖も沓も何から何まで、清浄で新しいものを身につけさせた。

【きょうが、この子の俗世最後の日――】と思うてのことである。

介が、門を訪れて、僧正の在否を問うと、

「おいで遊ばします」

と、寺侍が、山門から、内玄関へと、走ってゆく。

「よいお寺――」

と、十八公麿は、しきりと、そこらを見まわして、他愛がない。

「よかろう、僧院は」

「ええ」

うなずいて、佇んでいるそばへ、鶺鴒(せきれい)が下りて、花の散っている泥土の水に戯れている。

「六条どの、お通りあれ」

廻廊の階(きざはし)に、寺僧や、侍たちが、立迎える。

誰も彼も、十八公麿の愛くるしさに、微笑をもった。

「おいくつ?」

と、ささやく者がある。

「九歳です」

青蓮院の廻廊は長かった。

そこからまた、橋廊下をこえると、さらに寂とした僧正の院住がある。

むら竹の葉がどこからか欄や蔀(しとみ)に青い光を投げている。

鶯(うぐいす)がしきりと啼く野である。

せんかんと泉声(せんせい)が聞えて、床をふむ足の裏が冷々とする。

僧正とは、天台座主六十二世の座主、慈円和尚のことである。

月輪関白の御子であり、また連枝(れんし)であった。

介は、廊下の端に座る。

範綱と、十八公麿とは、大柱の客間をもう一間こえて、東向きのいつも、拝謁(はいえつ)する小間まで通って平伏していた。

粟田山の春は、その部屋いっぱいに香(にお)って、微風が、龕(がん)か、瓔珞(ようらく)か、どこかの鈴(れい)をかすかに鳴らした。

「六条どのか」

声に、おそるおそる、頭を上げると、慈円僧正は、そこの襖(ふすま)を払っていた。

若い、まだ二十七歳の座主であった。

あいさつをのべると、

「ほ……」

すぐに、眼をみはっていうのである。

「きょうは、お子連れか」

「お見知りおき下さいませ。

猶子、十八公麿と申しまする」

「ふーム」

にこやかに、唇(くち)で笑う。

範綱は、十八公麿の水干(すいかん)の袖をそっとひいて、

「僧正さまですぞ。ごあいさつを申しあげなさい」

「はい」

十八公麿は手をついて、貝のような白い顔をあげた。

慈円と彼と、師弟の縁をむすんだ初めての眸(ひとみ)である。