『にげる私を追いかけてついてはなれぬ御仏(おや)がいる』(前期)

浄土真宗の本尊は『阿弥陀如来(あみだにょらい)』という仏さまです。

この阿弥陀様を少々変わった呼び方で呼ぶ地域があるんだそうです。

どう呼ぶかといいますと、『親様(おやさま)』と呼ぶそうで、北陸や山陰地方ではこういった呼び方が用いられているんだそうです。

では、

「なぜこういった呼び方をするのか?」

といいますと、いのちの親という意味で呼んでいるんだそうです。

阿弥陀様を親のように思って、他人行儀ではなく、お念仏をおとなえする中で、いつも呼び交わし、仏の子としての自覚をもっているように感じます。

念仏者はみな仏の子。

阿弥陀如来は衆生、つまり私たちのいのちの親と言えますね。

さて、この阿弥陀如来ですが、少しの違いはあるかもしれませんが、どこのお寺の御本尊も、どこの家のご本尊も、木像であれば、少し前に傾いておられるのです。

イタリアにあるピサの斜塔のように、少し前に傾いておられます。

これはけっして、失敗して前に傾けて彫ったのではありません。

この前傾姿勢には理由があります。

南無阿弥陀仏のお念仏は、私たちへの阿弥陀さまからの願いが込められたはたらきですので

「私(阿弥陀仏)に南無(帰命・帰依)しなさい」。

つまり

「教えを聞きなさい」

という呼びかけなのです。

阿弥陀如来様の四十八の後光(四十八の願い)が私に向かって差しています。

これは阿弥陀如来様が私たちに、

「物事の道理や、真実に目覚めよ」

と呼びかけ、願いをかけて来てくださることを表しているのです。

そしていつでも・どこでも・どんな時でも、

「すぐに」

という意味が前傾姿勢となっているのです。

阿弥陀如来様は、私たちが気づかなくても、常に前傾姿勢で待っていて下さり、ついてははなれぬ御仏(おや)としていつもともにあるのですね。

南無阿弥陀仏。