真宗講座末法時代の教と行 5月(後期)

周知のように

「末法」

とは、仏教の歴史観の一つであって、釈尊の説かれた教えが、釈尊の滅後、時代とともに、いかに変遷し衰退していくかを示す思想です。

これには、いくつかの場代区分・見方がありますが、その代表的なものの一つが『教行信証』に引用される『安楽集』の、

経の住滅を弁ぜば、謂く釈迦牟尼仏一代、正法五百年、像法一千年、末法一万年には、衆生減じ尽き、諸経ことごとく滅せむ。

如来、痛焼の衆生を悲哀して、ことにこの経を留めて止住せむこと百年ならむ。

です。

これによれば、釈尊滅後の仏教思想の推移を、時代的に四つに区分し、各々の時代の仏教の状態が次のように説かれてています。

第一は釈尊滅後の五百年間で、この時代は釈尊の教えや行道も、また証果に至る人も盛んであるが故に

「正法」

と呼ばれます。

第二は以後の一千年間で、この時代は教えは未だ盛んであるものの、行道には既に翳りが見られ、形のごとくしか行はなされません。

したがって、証を得る者は一人もいないために

「像法」

と呼ばれます。

なお

「像」

とは、似ているという意味です。

第三が

「末法」

で、以後の一万年を指し、この時代は仏の教法だけは残っているものの、もはや教えにしたがってその通りに道を行ずる者は一人もなく、ましてや証に至る者は誰一人いないとされています。

そして、第四が

「滅法」

で、末法の後は釈尊の教えはことごとく滅するものの、ただ阿弥陀仏の教法のみはそれ以後も輝くと説くのです。

ただし、今ここで問題にしているのは、末法における仏教です。

さて、既述の教示から、仏教には

「教」と「行」と「証」

の三つの柱のあることが知られます。

この中の

「教」

とは釈尊の教えのことで、悟れる仏が迷える衆生に対し悟りへの道を説く教法という意味です。

「行」

とは、迷える衆生が釈尊の教えにしたがって、一心に仏果への行道に励むことだと言えます。

そして、教えにしたがって完全に行を成し得た結果が

「証」

ということになります。

だとすれば

「証」

は結果ですから、ここで重要なことは

「教」と「行」

とが、どのように関係し合うかということになります。

正法の時代は、教と行とが完全に調和していたので、人は証果に至り得ることが出来ました。

ところが、像法の時代には仏の教えにしたがって一心に行道を修する者はいるものの、教の本意にしたがうことが出来ず、ただ真似ごとの行しか成し得ないために、証果に至り得る者は一人もいなくなってしまいます。

さらに末法の時代には、完全に仏道が廃れ、もはや真似ごととしての行道を修する者さえ誰もいなくなり、ただ教のみが残っているだけで、当然のことながら誰一人証果に至ることは出来ません。

そこで、親鸞聖人は釈尊の行道の完全に消滅してしまった時代に生きる仏道者の姿を、次のように悲嘆されます。

釈迦如来かくれましまして二千余年になりたまふ

正像の二時はおはりにき如来の遺弟悲泣せよ

ただし、親鸞聖人は単に悲嘆にくれることだけに終るのではなく、末法の時代における真の仏教とは何かということを真摯に求められます。

真に仏道を行じる者は誰一人として存在せず、ましてや証果を得ることなどありえない現実において、真の行道とは何であり、人はいかにして仏果に至り得るのかということを尋ねて行かれるのです。

ある意味か言えば、このような求道のあり方は極めて滑稽ともいうべきで、不可能の中に自身を佇ませる行為に他ならないと言えます。

しかしながら、このような求道があったからこそ、釈尊の仏教が行なき時代に至った末法における真実の行がまさに

「念仏」

であり、同時に証に至り得ない者を証果に導く教えこそ

「念仏」

であるという

「浄土真宗」

の教法が、親鸞聖人によって明らかにされることになったのです。

では、その浄土真宗の教法とは、いったいどのような教えなのでしょうか。

この法門では

「教と行」

とが、どのように関係し合うのでしょうか。

この求めに先立って、釈尊の仏教の教と行との関係をまず要約します。

「教」

・仏の教えであるために、教はどこまでも真実であり、仏から衆生へという方向を持ちます。

したがって、教の性は「仏」の側に属します。

「行」

・衆生が仏果を得るために、教にしたがって一心に修する行道で、そのために行は衆生から仏へという方向をとります。

したがって、行の性は「衆生」の側に属します。