親鸞・紅玉篇 5月(1)

「衛門――」

ふたたび僧正は呼んだ。

襖(ふすま)のさかいに、

「はいっ」

高松衛門はすぐ手をついて、

「お召しでございますか」

「火急に使いを立ててもらいたい。

中務省(なかさかさしょう)へ」

「畏(かしこ)まりました。

――して御口上は」

「前若狭守範綱どのの御猶子、十八公麿どのが望みにまかせ、今宵、得度の式を当院において仕る由を――」

「え」

衛門は、耳を疑うように、

「まいちど、うかがいまするが、お得度あるおん方は?……」

「ここにおられる、十八公麿どのである」

「や、その和子様が……。

して、お幾歳(いくつ)でござりまする」

「九歳です」

と、範綱が答えた。

「それでは、まだ童形でご修業あるはずの法規(おきて)でございます。

古来からの山門の伝習をお破りあそばしては、恐れながら、一山の衆(もの)が、不法を鳴らして、うるそう騒ぎはいたしませぬか」

「慈円が、身にひきうけたと申せ。

しかし、中務省の役人から、なにかの、諮問(しもん)はあろう」

「その折は、なんと、申したものでございましょうか」

「ただ、こういえ。不肖ながら、天台座主六十二世の座主、覚快法親王より三昧(さんまい)の奥義をうけて、青蓮院の伝燈をあずかり申す慈円が、身にかえての儀と」

「はっ」

「一山三塔の衆へは慈円より、あらためて道理(ことわり)を明白に申し伝えびょうと候と。――わかったか」

「わかりました」

「使者の帰りを、待つのじゃ。いそいで」

「はいっ」

高松衛門は、廊(わたり)を、つつつと小走りに退がった。

範綱は、幾度となく、僧正の好意に、感涙をのんだ。

そして、十八公麿の頭をなでて、

「うれしいか」

「はい」

十八公麿は、無心にいう。

しかし、慈円僧正だか、身にひきうけてとまでいいきって、官へ印可(いんか)をとりにやったのは一朝の決断ではなかった。

先刻からの座談のうちに、炯眼(けいがん)、はやくも、十八公麿の挙止を見て、

【この子、凡にあらず】と見ていたに、ちがいないのである。

これとよく似た話が、後に十八公麿が師とあおいだ黒谷の法然上人にもある。

法然房の君が、まだ勢至丸(せいしまる)といった稚(おさな)いころ、父を亡(うしな)ってひとり故郷(ふるさと)の美作国(みまさかのくに)から京へのぼってくる道すがら、さる貴人が、白馬の上から彼の姿を見かけて、

【あの童子は、凡者(ただもの)ともおぼえない。

どこへ参るのか、身の上を聞いてやれ】

と、従者にいった。

従者がなぜですかと、問うと、白馬の貴人は、こういった。

【おまえ達には、わからぬか。

あの童子の眸は、褐色をおびて、陽に向うと、さながら瑪瑙(めのう)のように光る。

なんで、凡人の子であろうぞ】

と、いったという。

果たせるかな、勢至丸は、やがて後の法然上人となった。

その時の白馬の貴人は、苦情関白忠通公で、縁といおうか、不思議といおうか、慈円僧正の父君であった。