小説 親鸞・大衆(だいしゅ)6月(5)

「あっ」

打たれた頬を抑えながら、

「生意気とはなんだ」

朱王房も、拳をかためて、立ち上がった。

あわや、組み打ちになろうとする双方の血相なので、

「まあ、待てっ」

「議論のことは、議論でやれ」

学僧たちは、引きわけて、

「朱王房のことばも、あまり過激すぎる。そんなに不甲斐のない叡山なら、自分からさっさと山を下りたらいいじゃないか」

「そうだ、いくら、叡山が無能だからといって、自己の生涯を托している御山(みやま)のことを、今のように、いうのはよくない」

「若い、若い口は誰でも、悲憤慷慨(ひふんこうがい)はいえるものだが、自分で、やれといわれたら、何もできるものじゃない」

「社会もそうだ、山もそうだ」

多勢(おおぜい)の声には、朱王房も、争えなかった。

打たれた頬の片方を、赤くして黙りこんだ。

すると、さっき、彼のことばに賛意を表した妙光房が責任を感じたように、

「いや、朱王房のことばは、露骨で、云いかたが悪いのだ。彼には、何かほかに、感じることがあって、ついその余憤が出たのだろう。なあおい、そうじゃないのか」

「うん……」

朱王房は、うなずいた。

「この間も、俺をつかまえて、憤慨していたから、あのことをきっと、いいたかったに違いない」

「あのこことは?」

「新座主の問題だ」

「ふーム」

学僧たちは、新しい話題に、好奇な眼を光らしあって、

「新座主といえば、こんど、青蓮院からのぼられた慈円僧正だが、その座主について、何か問題があるのか」

「朱王房、いってみろ」

「ないこともない――」

と、朱王房は、顔を上げた。

「どんなこと?」

「ほかではないが」

「うむ」

「俺のような、一介の末輩がいうのは、おそれ多いとも思ってだまっていたが……。慈円僧正の態度は、三千のわれわれ大衆を無視しているばかりでなく、真言千古の法則を、座主自ら、勝手に紊(みだ)しているものと、俺は思うのだ。
――そんなだらしないことでは、山の厳粛がたもてるわけのものじゃない。だから、吾々の法城は、もう実のところ何の力もないのだ。鴉の番人というように嘆息が、つい出てしまう……。いい過ぎだろうか」

「座主が、自ら、山の法則を紊(みだ)したとは、どんなことか」

「誰も、知らないのか」

「知らん」

「じゃ、いうが……。この冬、新座主と共に、登岳した範宴少納言という者を、各々は、見ていないか」

「あの小さい稚僧か」

「そうだ」

「あれなら、よく見かけるが、まるで嬰(あか)ん坊じゃないか。未丁年者を、山へ連れてきたということは、ちょっと、碩学の中で、問題担ったが、結局、取るにたらん子どものことだし、僧正が青蓮院に在住のころから、お側に侍(かしず)いていた者でもあるし…と黙認になっているのだから、そのことなら、問題にはならんぜ」