親鸞・登岳篇 鳴らぬ鐘 7月(1)

2013年7月1日

雲がくると、窓の外は、海のように青かった。

霧が去れば、机の上に、仄(ほの)かな峰の月が映す。

範宴は、宿房の一間に、坐っていた。

机の上には、儒学の師、日野民部から学んで白(はく)氏(し)文集(もんじゅう)が載っている。

これは、山へのぼってからも、離さない書物であった。

短檠(たんけい)の灯が、窓をあけておいても、揺れないほどに、夜は静かなのである。

――中堂の大厨(おおくりや)の方では、あしたの朝の僧衆のために、たくさんな豆腐を製(つく)っているとみえて、豆を煮るにおいがどこともなく流れてくる。

「誰です?」

範宴は、机から、板敷の方を振り向いた。

かたんと、音がしたようであったが、返辞がないので、

「栗鼠(りす)か」

と、つぶやいた。

よく、板の間を、栗鼠が後足で踊ってあるく。

時には、巨(おお)きな禽(とり)が来たり、床下から、山猫が琥珀(こはく)色(いろ)の眼で、人の顔を、のぞきあげたりする。

食物が、失くなることは、たびたびであるし、狐の尾に、衣の裾(すそ)を払われることは、夕方などめずらしくない。

(怖い)

山に馴れないうちは、範宴は、恐ろしくて幾たびも、都の灯が恋しかった。

座主から、

(そんなことでは)

と、笑われても、本能的に、恐かった。

座主はまた、

(世に、恐いものがあるとすれば、それは人間だ。人間に、恐いものがあるとすれば、それは自分だ。――自分の中に棲(す)む狐や、鷲や、栗鼠は、ほんとに恐い)

と、いわれた。

範宴にも、すこし、その意味がわかる気がした。

稚(おさな)い者に話す時には、稚い者にもわかるように、よく噛んで話してくれるのが、慈円座主の偉さであった。

都という話が出た時に、

(範宴――、よう見えるか)

と、ある時、比叡の峰から、京都の町を指していう。

範宴が、うなずいて、

(見えまする)と答えると、

(何が)と、訊ねた。

(町が、加茂川が、御所が。――それから、いろんなものが)

(もっと、よく見よ)

(遠いから、人は見えません)

(その人間の、生きる相(すがた)、亡びる相、争う相、泣く相、栄える相、血みどろな相――。見えるか)

(そんなのは、見えるわけはありません)

(いけない。……それでは、何も見えることになりはしない。おまえは、世間にいれば、世間が見えてると思っているだろう)

(ええ)

(大違いだ。――魚は河に棲んでいるけれど、河の大きな相は見えないのだ。悠久な、大河の源と、果てとを見極めるには、魚の眼ではいけない)

(では、何の眼ですか)

(仏の眼)

(ここは、河の中ではありません)

(叡山は、河の外だよ)

範宴は、なにか、うっすらと、教えをうけた。

それからは、都の灯を見ても、恋しいと思わなかった。

※「白氏文集」=中国・唐の白居易の詩文集で七十一巻。有名な「長恨歌」もこれに含まれる。平安時代に渡来した。