先日、コンビニに行った時のことです。

先日、コンビニに行った時のことです。

レジで店員さんが「合計で○○円になります」と。

私はそれを聞いて、思わずニッとしてしまいました。

なぜかというと、その時に私が買ったのはカフェラテが一つだったからです。

二つ以上買うのであれば「合計」ですが、買い物は一つなのですから、この場合「合計」にはなりませんよね。

コンビニでは、日々ほとんどの人が複数のものを買うので、店員さんはいつも当たり前のように

「合計で…」と口にしているため、私の場合にも思わずその言葉が口をついて出たのだと思います。

おそらく、その店員さんはなぜ私がニッとしたのか、気づいておられなかったようです。

もし仮に気づいたとしても、内心

「変なヤツ」

と思っただけかもしれませんが…。

私たちは、日頃自分が口にしていることの間違いに自ら気づくということはなかなかありません。

でも、それはやむを得ないと思います。

「正しい」と思っているからこそ、そのことを口にしているのですから。

例えば、

「足元をすくわれる」という言葉をよく見たり聞いたりすることがあります。

けれども、正しくは

「足をすくわれる」です。

「足元」の場合は「足元を見られる」といいます。

また、「安くついた」

と言うことがありますが、

「ついた」という言葉は

「高くついた」といい、

「安く」を使うときには

「安くあがった」と言います。

何気なく見たり聞いたりした言葉が、無意識に刷り込まれたのかもしれません。

漢字も知っているようで、案外あまり知られていない使い分けの仕方があります。

例えば、アサガオの

「せいちょう」を記録するという場合、

「成長」「生長」

どちらを書かれますか。

正解は「アサガオの生長を記録する」と書きます。

植物は「生長」と書き、

人間や動物の場合は「成長」と書くからです。

この他にも、靴やスボンを「はく」時も、

靴は「履く」と書き、

スボンは「穿く」と書きます。

もちろん、これだけでなく、細やかな漢字の使い分けは多くありますが、最初にきちんとした確かめをしていないと、聞きかじりや誤用をそのまま信じて使い続けてしまうことが少なからずあるようです。

実は、このような過ちの一つが、亡くなられた方のことを話題にする場合

「○○さんは、今ごろ天国で…」という言い方です。

よく知られているように、

「天国」というのは生前にキリスト教(ユダヤ教・イスラム教)を信仰しておられた方がたが、死後に生まれて行かれる世界のことです。

では、浄土真宗のご門徒の方は、このいのちが終わったらどこに往かれるのかというと、阿弥陀如来の本願のはたらきによって

「浄土」に生まれて往かれるのです。

だから「往生浄土」というのです。

ときに、この「往生」の「往」は「行って帰ってくる」という場合の

「行く」の意味です。

そうすると、浄土に往生された方は、そのまま浄土にとどまっておられるのではなく、必ず私たちのこの世界に「仏さま」として帰ってこらます。

では、その場合いったいどこに帰ってこられるのかというと、縁ある方がたの拝む心に帰って来られ、私の称える

「南無阿弥陀仏」の念仏の声となってはたらいてくださいます。

ところで、なぜ多くの人たちは、亡くなられた方のことを話題にする時に

「天国…」と口にしてしまうのでしょうか。

それは、「日頃、他の人がそのように言うから…」

ということもありましょうが、実は自分自身のいのちの帰って行く世界を見出していないからにほかなりません。

人生はしばしば旅をすることにたとえられますが、

「あなたのいのちはどこに向かい、そしてどこに帰っていくのですか」

と問われて、その答えに戸惑ってしまうようでは、あとでなく放浪する人生ということになってしまいます。

そして、いのちの帰っていく世界を見出せないことの不安が日々の生活に影を落とすことになるのだといえます。

日頃何気なく口にしている言葉を、自分はきちんと理解しているかどうか確かめてみると、案外いろんな気づきや、誤解・誤用をしていることに気づいたりするものです。

ただし、「自ら」ということはなかなか難しいものです。

善導大師は

「経教はたとうるにこれ鏡のごとし」

と言われます。

仏さまの教えを聞き学ぶことは、私自身の本当のすがたを学び知ることだと言われるのです。

知らないことを新たに知ることも大変興味深いことですが、知っていると思っていたことの中にも、いろんな発見や気づきがあることに心寄せていただきたいものです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。