親鸞・去来篇 10月(2)

「わかりました」

若い夫婦(ふたり)は、しみじみと、範宴のことばを心に沁み入れてうなずいた。

渡船(わたし)が出る。

範宴は、性善房と一緒に、舷(ふなべり)へ立った。

狭霧(さぎり)が霽(は)れてきた。

箭四老人は、幾たびも、

「和子様――おからだを大切に――ご修行遊ばしませ」

彼にはまだ、範宴が、昔の十八公麿のように稚く見えてならなかった。

今も、和子様と、呼ぶのであった。

「爺も、無事に」

と、範宴が答えると、

「おさらばでございます」

萱乃と国助が、うるんだ眼をして、じっと見送る。

早瀬へ、渡船はかかっていた。

下流(しも)へ下流へと、船脚はながされてゆく。

箭四郎のすがたが、次第に小さくなった。

若い男女(ふたり)のすがたに、朝の陽が、かがやいていた。

(あの夫婦に、永く、幸福のあるように)と範宴は、仏陀に祈った。

河原には、小禽(ことり)が、いっぱいに啼いている。

何ともいえない、清々しさが、皮膚から沁み入るように覚えた。

だが、範宴は、山を下りてから事ごとに何か考えさせられた。

それは、(学問のための学問ではだめだ)ということだった。

自分が、きょうまで、霧の中に、刻苦してきたことは、要するに、それである。

人間を対象としない、古典との燃焼であった。

いくら、研究に身を燃焼しても、それがただ、古典に通ずるだけのものであったら、意味はとぼしい。

生きた学問とはいえない。

衆生に向って、心の燈(ともし)火(び)となる学問ではない。

自分の胸に、明かりを点(つ)けて、自分のみ明るしとする狭いものでしかない。

人間を知ろう、社会を知ろう。

――それこそ生々しい大蔵(たいぞう)の教典だ。

それによってこそ、初めて、真の仏教がものをいう。

河内路の白い土を踏みながら、範宴は、そんなことを考えたりした。

(しかし?……)とまた、惑いものするのだった。

(そういう考えは、まだ、生意気かもしれない。人生だの、社会だのというのは、そんな簡単なものではない。それに……まだ古典のほうだって、自分はまだ、ほんの九牛の一毛を、学んだばかりの黄口(こうこう)の青年ではないか。まず、しばらくは、夢想と、無明(むみょう)の中入って、専念、学ぶことが必要だ。――ただ専念に)と、行く手の法隆寺に、その希望をつなぎ、おのずから足に力が入るのを覚えつつ大和へ急いだ。