親鸞・去来篇 柿色の集団 10月(3)

「はてな?」

性善房は、雑鬧(ざっとう)する駅(うまや)路(じ)の辻に立って、うろうろと、見まわしていた。

木津川を渡って直ぐの木津の宿であった。

源氏の府庁から布かれた大きな高札が立っている。

その官(かん)文(ぶん)の前にも、範宴は見えなかった。

汚い木賃(きち)宿(ん)だの、馬飼いの馬小屋だの、その前に立って罵っている侍だの、川魚を桶にならべて売る女だの、雑多な旅人の群れだのが、秋の蠅と一緒になって騒いでいる。

「この阿呆(あほう)(あほう)っ、高い所にのぼりたけれや、鴉(からす)になれっ」

と、柿売りの男が、屋根の上にあがって遊んでいる子どもを、引きずり下ろして、往来の真ン中で、尻を、どやしつけていると、その子の女親が、裸足で駈けてきて、

「人の子を、何で、打(ぶ)ちくさるのじゃ」

と柿売りの男を、横から突く。

「てめえの家の餓鬼か。この悪戯(わるさ)のために、雨漏りがして、どうもならぬゆえ、懲(こ)らしめてくれたのが、何とした」

「雨が漏るのは、古家のせいじゃ、自分の子を、打て」

「打ったが、悪いか」

と、またなぐる。

子どもは泣き喚く。

「女と思うて、馬鹿にしくさるか」

と、子どもの母親は、柿売りに、むしゃぶりついた。

親同士の喧嘩になって、見物は蠅のようにたかってくるし、駅路の馬はいなくし、犬は吠えたてる。

性善房は、探しあぐねて、

「お師様あ」

と呼んでみたが、そこらの家の中に、休んでいる様子もない。

木津の渡船(わたし)で、すこし、うるさいことがあったので、宿の辻で待ちあわせしているようにと、自分は、一足後から駆けつけてきたのであったが――。

ここにも見えないとすると、もう奈良も近いので、あるいは、先へ気ままに歩いて、奈良の口で待っているおつもりか?

「そうかも知れない」

性善房は、先の道へ、眼をあげながら、急ぎ足になった。

その足もとが、鶏(とり)に蹴つまずいた。

埃をあげて、鶏が、けたたましく、往来を横に飛ぶ。

宿場を出ると、やがて、相楽(さがら)の並木からふくろ坂にかかった。

その埃の白い草むらに、西、河内の生駒路、東、伊賀上野道。

道しるべの石碑(いしぶみ)が立っていた。

さっきからその石碑のそばに、黙然(もくねん)と、笈(おい)ずるを下ろし、腰かけている山伏がある。

「……喉が渇いた」

つぶやいて、辺りを見まわした。

清水が欲しいらしいのであるが、水がないので、あきらめて、またむしゃむしゃと柏(かしわ)の葉でくるんだ飯(いい)を食べている。

その前を、性善房が、急ぎ足に通ったので、山伏はあと顔を上げたが、はっと突き上げられたように立ち上がって、

「おいっ、おいっ」

杖をつかんで、呼びとめた。