『ずいぶん回り道をしてきたそれもまたいい』(中期)

『仏説阿弥陀経』という経典に

「舎利弗(しゃりほつ/サーリプッタ)」

という言葉が何度も何度も出てきます。

これは、お釈迦さまのお弟子の中で

「智慧第一」

と称された方の名前です。

この舎利弗は、お盆にまつわる物語で有名な

「神通第一」

と讃えられた目蓮(もくれん/モッガラーナ)と、幼年から晩年にいたるまで変わることのない友情に結ばれ、終生、互いに補いあい支えあいながら、同じ道を歩み続けたと伝えられています。

この二人が道を求めるようになったきっかけは、次のようであったと伝えられています。

青年期に王舎城近くの山あいで催された祭りの見物に出かけたとき、周囲の人びとが歓楽の限りを尽くし、誰もが我を忘れて浮かれている姿を眺めているうちに、いつしか虚しい気分に沈み込んでいくのをどうすることもできなくなり、その雰囲気の中に溶け込んでいけないものを感じました。

舎利弗と目蓮の二人は、家柄・才能においても恵まれており、しかも人生の歓楽を求めようとするなら、ほとんど思い通りになるという境遇であったにもかかわらず、歓楽に満たされない自分を感じたのです。

このことがあってから、やがて二人は出家したといいます。

人は、どちらかといえば、苦しみにおいてよりも、楽しみにおいてより深く迷うものです。

なぜなら、苦しみはいやでも自身の人生のあり方を問い返させてくれるからです。

なぜこのような苦しみを受けなければならないのかとか、このような苦しい生活にいったい何の意味があるのかと。

そして、そのようにもがく中で、人はより深い人生を求めることになるものです。

一方、楽しみの中では、その境遇の心地良さに溺れ、いつの間にか我を忘れ、自ら人生を問い返そうとすることなどめったにありません。

このことからも、舎利弗と目蓮の二人が、いかに宗教的素養を備えていたかということが窺い知られます。

二人は、まず当時名声の高かったサンジャヤの弟子となりましたが、聡明であったためすぐに師の説くところをすべて理解してしまいました。

しかし、サンジャヤの教えによっては、心は一向に安らかになることがありませんでした。

そのような中、ある日、舎利弗が街で一人の修行僧に出遇い、托鉢してまわる姿の威儀に感動し、師の名前とその教えの内容を尋ね、その縁によって釈尊のもとを訪ねることになりました。

このとき舎利弗は目蓮を誘い、サンジャヤの弟子二百五十人ともども釈尊の弟子になったのですが、その際に大変興味深いことが伝えられています。

釈尊のもとで、初めてその説法を聞いたときのことです。

舎利弗と目蓮の二人に伴われて、二人についてきた二百五十人の弟子達は、釈尊の説法を聞くと、ただちに聖者の最高の境地である阿羅漢(あらかん)の位にまで到達しました。

聖者の境地、悟りには四つの段階が説かれているのですが、第一は預流果(よるか)、初めて悟りに向かう流れに乗り、聖者の仲間に加わった位。

第二は一来果(いちらいか)、一生迷いの生涯を送れば聖者になれる位。

第三は不環果(ふげんか)、もう二度と迷いの生死に環ることなく悟れる位。

第四は阿羅漢果、苦悩からの完全な解脱を成就した聖者の位です。

ところが、舎利弗と目蓮の二人は、二百五十人の弟子達がただちに最高位の阿羅漢果を得たのに対し、最低の預流果の境地にとどまり、すぐに阿羅漢果に至ることはできませんでした。

また、目蓮はその後七日目に阿羅漢果に至ることができたのですが、舎利弗が阿羅漢果に達することができたのは、十四日目のことであったと伝えられています。

舎利弗と目蓮の二人は、釈尊によって二大士として重んじられ、特に舎利弗は後に

「智慧第一」

と尊ばれたほどの人であるにもかかわらず、なぜ阿羅漢の位に到達するのが一番遅かったのでしょうか。

それは、おそらく舎利弗が、釈尊の説法を聞く中で、いろいろな疑問を持ったからです。

二百五十人の弟子達が少しも疑問に感じないようなことでも、舎利弗はひとつひとつのことを問い、それを明らかにして次に進んで行ったのです。

聞いて、すぐに納得する素直さも尊いことですが、その場合、仏法は聞いてすぐに理解できる人だけにしか伝わらなくなってしまいます。

ところが、すぐには納得せず、どこまでも問い続け、ひたすら考えを巡らし、その結果初めて頷くことの出来た人は、どんな人にも教えを伝えることのできる言葉を身につけることができます。

つまり、舎利弗は他の人たちがすぐに納得してしまったことであっても、それを自らの身にひきあてて問い、どのように些細なことであってもその疑問をいい加減にせず、徹底して問い続けていったのです。

だからこそ、阿羅漢の境地に到るのが最後になってしまったのです。

そして、そのように多くのことを問い続けていったからこそ、ずいぶん回り道をしたようでも、ついには多くの弟子達の中にあって

「智慧第一」

と讃えられることになったのです。

私たちは、すぐに上手くいったことはあまりよく覚えていなかったりするものですが、失敗を重ねたりする中で獲得したことはよく覚えていますし、なかなか忘れないものです。

ずいぶん回り道をしたようでも、その間にいろいろなことに思いを巡らし、ようやくたどり着いた境地は、深さと広がりを持っているように感じられます。

さて、この一年、きっといろんなことがあったことと思われますが、ここにたどり着くまでの道のりはいかがだったでしょうか。

決して、平坦な道のりばかりではなかったことと思われます。

でも

「それもまたいい」

と言えるような終わり方だったら、良いですね。