親鸞・去来篇 12月(8)

「……お気がつかれたか」

と、その人はいう。

範宴は、自分の凍えている体を、温い両手で抱いてくれている人を、誰であろうかと、半ば、あやしみながら瞳をあげて見た。

「お……」

彼は、びっくりして叫んだ。

「あなたは、叡山の竹林房静厳の御弟子、安居院(あごい)の法印聖覚どのではありませんか」

「そうです」

法印は微笑して、

「去年(こぞ)の秋ごろから、私も、すこし現状の仏法に、疑問をもちだして、ただ一人で、叡山を下りこの磯長の叡福寺に、ずっと逗留していたのです。……でもあなたの、剛気には驚きました。こんな、無理な修行をしては、体をこわしてしまいますぞ」

「ありがとう存じます……。じゃ私は、気を失っていたものとみえます」

「よそながら、私が注意しいていたからよいが、さもなくて、夜明けまで、こうしていたら、おそらく、凍死してしまったでしょう」

「いっそ死んだほうが、よかったかも知れません」

「なにをいうのです。人一倍、剛気なあなたが、自殺をのぞんでいるのですか、そんな意志のよわいお方とは思わなかった」

「つい、本音を吐いて恥しく思います。しかし、いくら思念しても苦行しても、蒙(もう)のひらき得ない凡質が、生なか大智をもとめてのたうちまわっているのは、自分でもたまらない苦悶ですし、世間にも、無用の人間です。そういう意味で、死んでも、生きていても、同じだと思うのです」

範宴の痛切なことばが切れると、聖覚法印は、うしろへ持ってきている食器を彼のまえに並べて、

「あたたかいうちに、粥でも一口おあがりなさい。それから話しましょう」

「七日のおちかを立てて、参籠したのですから、ご好意は謝しますが、粥は頂戴いたしません」

「今夜で、その満七日ではありませんか。――もう夜半(よなか)をすぎていますから、八日の暁(あさ)です。冷めないうちに、召しあがってください、そして、力をつけてから、あなたの必死なお気もちをうかがい、私も、話したいと思いますから……」

そういわれて、範宴は、初めて、椀を押しいただいた。

うすい温(ぬる)湯(ゆ)のような粥であったが、食物が胃へながれこむと、全身はにわかに、火のようなほてりを覚えてきた。

叡山の静厳には、範宴も師事したことがあるので、その高足(こうそく)の聖覚法印とは、常に見知っていたし、また、山の大講堂などで智弁をふるう法印の才には、ひそかに、敬慕をもっていた。

この人ならばと、範宴は、ぞんぶんに、自分のなやみも打ち明ける気になれた。

聖覚もやはり彼に似た懐疑者のひとりであって、どうしても、叡山の現状には、安心と決定(けつじょう)ができないために、一時は、ちかごろ支那から帰朝した栄西禅師のところへ走ったが、そこでも、求道の光がつかめないので、あなたこなた、漂泊(ひょうはく)したあげくに、去年の秋から、磯長(しなが)に来て無為の日を送っているのであると話した。