『「縁起」が良いとか悪いとか聞きますが、「縁起」って何ですか?』

縁起といいますと、よく縁起が良いとか悪いなどと使われる事があります。

ここで使われている縁起が良い、悪いというのは、よくよく省みると自分に都合の良いものを縁起が良いといい、都合の悪いものを縁起が悪いと言っているようです。

仏教では、この私のものの見方を愚痴(ぐち)といいます。

すべのことを私中心に見て自分にとって都合の良いもの、自分にとって役立つものを良しとし、是とする。

逆に自分にとって都合の悪いもの、邪魔になるものを悪とよび、非とする。

そのような自分中心のものの見方を愚痴といいます。

しかし、「縁起」とはそのような自己中心的なわたくしの見方で語られるものではありません。

ただ今の私のいのちという立場に立って、私を私とたらしめている数限りないはたらきを自覚的にいただけるものが縁起の世界であります。

またそれをご縁と言ったり、ご恩と言ったりもします。

ですから、ご縁はそれがわたくしにとって都合が良かろうが悪かろうが選ぶことはできません。

むしろ、自分の都合でしか見ることの出来ないわたくしにとっては、都合の良かった事も、悪かった事も、すべてが今のわたくしとなっております、といただけるのが縁起という事でありましょう。

慌ただしい日常の中で普段は忘れがちなことではありますが、時には立ち止り、今、生かされて生きているいのちの不思議をおもい、私の都合の善し悪しに関係なく、共に一瞬一瞬のかけがえのない大切なご縁によって成り立っているいのちであると、いただいていきたいものです。