「現代のベートーベン」

先頃、NHKの番組でも取り上げられるなど「現代のベートーヴェン」と呼ばれた佐村河内守氏が、実は自分では楽譜を書けず、自身が作曲したとして公表してきた楽曲は、全て音大非常勤講師の新垣隆氏の手によるものだったいう事実が明かされ、大きな話題となりました。

佐村河内守氏が準えられたベートーヴェン(1770−1827)は、周知のようにドイツの作曲家で、「楽聖」とも呼ばれる音楽史上極めて偉大な音楽家の一人として讃えられています。

伝えられるところによれば、ベートーヴェンは20歳代後半頃から持病の難聴が徐々に悪化し、28歳の頃には最高難度の難聴者になりました。

誰にとっても聴覚を失うということは大変なことですが、殊に音楽家であったベートーヴェンにとってそれは、自殺さえ考えさせるような深刻な事態でした。

けれども、強靱な精神力によってその苦悩を乗り越えたベートーヴェンは、34歳の時に「交響曲第3番」を発表したのを皮切りに、その後多くの作品を発表します。

40歳頃には、耳が全く聴こえなくなり、神経性とされる持病や腹痛、下痢などにも苦しむのですが、56歳で亡くなるまで、今に残る多くの素晴らしい楽曲を作り続けました。

その楽曲がいかに多くの人に愛されたかということは、ベートーヴェンの葬儀に2万人もの人がかけつけたと伝えられることからも十分に窺い知られます。

ベートーヴェンの音楽界への寄与は極めて大きく、以後多くの作曲家に様々な影響を及ぼしています。

今回、世間を騒がせることになった「現代のベートーベン」こと佐村河内守氏は、これまでに「耳が聴こえなくなった」として障害者手帳を申請する一方、そうであるにも関わらず「自身が作曲した」として多くの楽曲を公開し、それが高い評価を受けて「楽聖・ベートーヴェン」に準えられてきたのですが、実はそのすべての楽曲を音大非常勤講師の新垣隆氏が作曲していたという事実が、作曲者である新垣氏の告白によって世間の知るところとなりました。

あろうことか障害者を偽って公的扶助を受けていたこと、そして何よりも「他人の楽曲を自分の作品として公開してきたこと」が、世間を騒然とさせたのですが、これを大変不快なこととして憤る人の中には、同じような境遇にある人が少なからずいたりすることがあるからだと考えられます。

それは何かというと、「自分の手柄を他人に取られた」という苦い経験です。

実際、世の中には平気で「他人の手柄を奪う人」がいたりしますし、そのことに対して不満を感じている人も多くいます。

ネット上の書き込みを見ると

「上司が全て自分の業績であるかのように処理するので、仕事に対する意欲がわかない」とか「自分の手柄を横取りするような先輩が多いので、頑張ってもなかなか報われない」

といったことが散見されます。

また、派遣社員の方も「正社員の陰で頑張って仕事をしても、手柄はすべて正社員に持っていかれる」と、自分の努力が報われないことを嘆いています。

そういえば、人気漫画の「島耕作」シリーズの中にも、そのように「手柄を横取りする上司」が何人か登場しますが、一時は他人の手柄で出世しても、やがて実力の無さが露呈して失脚したりする様が描かれています。

『老子』に「天網恢恢、疎ニシテ失ワズ」、また『魏書』に「天網恢恢、疎ニシテ漏ラサズ」という言葉があります。

「天網(てんもう)」とは、天の張りめぐらす網のこと。

「「恢恢」(かいかい)」とは、広くて大きい様で、「疎(そ)」とは、目が粗いことです。

このことから、この言葉は

「天が悪人を捕えるために張りめぐらせた網の目は粗いが、悪いことを犯した人は一人も漏らさず取り逃さない。天道は厳正であり、悪いことをすれば必ず報いがある。」

という意味に解釈されています。

漫画の世界だけではなく、この現実世界においても、たとえ一時は成功したり、脚光を浴びることはあっても、まさに「天網恢恢疎にして漏らさず」の言葉通り、悪いことは、いつかはその報いを受けるのだということを世間に知らしめた出来事であったように思われます。

日頃から、怠けず、諦めず、コツコツと、地道に、自分の出来ることに勤しんでいきたいと思うことです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。