「自然と人間その厳しくも、やさしい関係」(下旬)ニホンザルと日本人は決して仲良くない

屋久島のことをちょっと振り返るのですが、屋久島に住んでいますと、その自然をどう守るかということを年中問われております。

しかし、私たちは世界遺産を守るために暮らしているわけではないのです。

もちろん世界遺産を守ることは大事なことですけれども、むしろ自分たちの暮らしのあり方をきっちり考えていくこと、つまり環境的に整合性の高い暮らしを築き上げることも大事なことなのです。

「自然に対する負荷の小さい暮らしをしましょう」

「自然に対する負荷の小さい生産活動をしましょう」

ということが、世界の宝と言われるような自然を守ることにつながっていくのだということです。

元来、人間も単なる一生物なわけですから、自然というレベルで考えていけば自然界のひとつの生物、ヒトという種なんですね。

そういう意味では、自然に対して関与することなどなかなかできないわけで、むしろ基本的には、自然に生かしていただいていると思ったほうがいいわけです。

実は屋久島にはサルがいます。

そしてそのサルを「かわいい」という観光客の方がおられます。

サルとヒトとの関係を考えてみますと、例えばニホンザルと日本人というのは非常に食性が近いです。

一番激しい競合関係にあるのは、同じ食性を持った二つの種が存在した場合ですね。

つまり、猿と人は決して仲良くないわけで、最近日本では飢えというのがあまり見られませんが、過去には飢えがみられた時代がありました。

そのころですと、ひとつの樹木になった木の実を猿が先に取るか、ヒトが先に取るか、これは相当厳しいものだったと思います。

そうしますと、ヒトはヒト以外の自然物とひょっとしたら同列なのではないかと思うのですね。

その間には厳しい生存の緊張関係、もあります。

逆に、それぞれの存在がそれぞれの存在を補完する、お手伝いをする役割もあるわけです。

そういうような相互関係の中でヒトという生き物だっているのですよ、ということになるのではないかなという気がするのです。

つまり、自然というのは非常に総合的な存在であって、当然私たちが生存するためには、必ずほかの自然物に対して巨大な負荷を与えているわけです。

そういう意味ではきわめて用心深くなければいけないと思うのです。

かといって、自然界から物はいらないなんてきれいごとを言ってはいられません。

そんな遠慮をしたらヒトという種は滅んでしまいます。

ですから、人間はヒトという種の保全のために相当必死になって闘わねばならないのです。

むしろ、現在人間が得た科学的知識やその他は、他の自然界の事物と永続的により良い関係を持続するために利用しなければならないのかなという気がします。

物の豊かさから心の豊かさへ、というような言われ方がされるようになってから結構年月がたちましたが、経済的な分りやすさでいえば、知的生産の技術といったものが、これからの人間活動の大きな比重を占めていくようになるのだろうと思います。

おそらく物質的に人間以外の自然にたいする影響は、これ以上はもう限度なのではないか。

これからは、知的生産の技術が人間の生産活動を支えるものになり、満足を与えるものになっていくのであろうかというようなことを感じたところです。