『生きるとは生まれたことの意味に頷くこと』(前期)

あなたは、これまでの人生で『生きることの意味』や『生まれたことの意味』を誰かに教えてもらったことはありますか。

学校教育では、勉強の仕方や運動の方法を教えてもらうことはあっても、こういった

『生きること・生まれたことの意味、そして方向(生き方)』

を教わることはなかなかないように思います。

では、生きることとは一体どんな意味をもっているのでしょうか。

日本では、平成20年から25年にかけて自殺者が25,000人を超えているのだそうです。

このことからもわかるように、生きるということは決して簡単なことではなく、大変難しいことであると推測できます。

日々の生活の中で、あなたもそう感じたりすることがあるのではないでしょうか。

しかもそれは、年を経ていくにつれて、より感じるようになる気がします。

年齢を重ねていけば、人は誰でも心身ともに衰え、たくさんの人との出会いだけでなく別れも経験します。

いつのまにか自分だけになってしまう…、そんな孤独感を味わうことも少なくはありません。

真剣に考えると、「生きること」には大変な覚悟がいることを感じます。

覚悟の『覚(かく)』とは、目覚めるということ、『悟(ご)』というのは悟るということです。

つまり、生きることとは必ず死ぬことであるということに目覚め、悟っていかなくてはならないということなのだと思います。

そのことを自覚すると、

「私たちは、死んだらどうなってしまうのだろう」

という不安と迷いにとらわれてしまうのが現実ではないでしょうか。

そして、

「必ず死んでしまう命なら、生きることには意味がない。好き勝手に生きればいい」

とも考えてしまいかねません。

「不安と迷いにとらわれながら、その答えが出せないまま、いつのまにか命が終わっていた」

という人も少なくないかもしれません。

人間に生まれた以上、必ず訪れる死を前にして、

「ありがたい命をいただき、尊いご縁でした」

と頷けるようなことに出遇うことが大切なのではないかと思われます。

思い返せば、

「辛いことや悲しいこと、嫌なこともあったけど、私にとっては本当に尊いいのち、有りがたい人生でした」

と合掌し、感謝しながら人生のすべてを受け止め、認めていくことこそが、生まれたことの意味に頷くことではないかと思います。

「かけがえのない人生が、迷いながら愚痴だけて終わっていた」

というのではなく、

「どんな状況でも、どんなことがあっても、ありがたいことであった」

と言える、自分の人生を喜び味わい頷くことが私たちの命を輝かせていくのではないでしょうか。

お念仏の教えは、この私のいのちを、

「そのままでいいんだよ、私が必ずうけとめていくよ」

と、お引き受け、認め、頷いてくださる教えです。

その教えに照らされ育まれながら、今日賜ったこの命を、どんなことがあっても、

「今日もよかった」

と頷きながら生きていけたら…と、思うことです。