4月11日から1泊3日という強行日程で、カンボジアの友人の結婚式に出席してきました。
乗り継ぎの時間も含め、日本から飛行機で約8時間、カンボジアの首都プノンペンに夜8時前に到着。
空港には結婚式を明日に控えた友人自らと、カンボジアのお坊さんたちがゲートの向こうから大きく手を振って出迎えに来てくれている姿が見え、忙しい中、申し訳なく思いつつ1年ぶりに再会をしました。
その友人は、昨年までカンボジアの僧侶でした。
カンボジアの仏教、いわゆる上座部仏教では、戒律を重んじ、お釈迦さま在世の教団の姿を純粋な形で今に残していると言われています。
出家をしたら「糞雑衣(ふんぞうえ)」と呼ばれる茶褐色の衣を常に身にまとい、当然結婚はできませんし、また正午以降は水分以外の物を口にしてはならないなど、他にも多岐にわたる戒律が定められてあります。
現在の彼は僧侶をやめ、プノンペンの大学で先生をしていますが、僧侶をやめてもその人柄、言葉遣いなどは何一つ変わらず、穏やかにたたずむいつもの彼の姿がありました。
以前私の結婚式に、当時まだ僧侶であった彼を日本に招待したことがありました。
ひときわ目を引く衣姿の彼は、どこに行っても大注目。
スターバックスで一緒にコーヒーを飲んでいるときや、披露宴会場でたくさんの人たちから写メをお願いされても、いつもにこやかにほほえみ、相手の立場を認め、やわらかく温和な表情で手を合わすその姿はとても美しく、誤解を恐れずに申しますと、まさに仏道を歩む姿そのものと言えます。
そんな彼と指宿の名物、砂蒸しに行った時のこと。
砂に埋められるなんてことはもちろん、これまでシャワーしか使ったことのない彼にとっては、見ず知らずの大勢の人たちと裸で一緒に湯船に浸かるということも初めての経験であり、とても喜んでいました。
そんな興奮冷めやらぬ中、私は満足ついでにマッサージも勧めてみました。
しかし、それには彼は申し訳なさそうに「No thank you」
その返事に私もついハッとしました。
カンボジアに限らず上座部のお坊さん方は女性に触れてはならず、また女性が触れてもいけないということを思い返したことです。
この何気ない彼とのやり取りの一場面ですが、私にはとても心を突き動かされる一言でした。
遠い異国の地で、誰からも見られていなくても、仏さまはちゃんと見ている。
仏弟子としての彼に多くのカンボジアの人々は功徳を託し、彼もまた多くの人々から喜捨を受けて生きている。
仏陀の教えにどこまでも純朴に、ただ素直に、自分は僧侶であるという彼のこの強い自覚は、私には身を打ちのめされたような大きな衝撃でした。
今でも時々その時のことを自戒も込めて思いだします。
教義の違い、国の違いではない、凡夫だからでもない。
お坊さんということへの頑なな姿勢から、同じ僧侶としての自分の有り様を問わずにはおれませんでした。
ちなみに、マッサージする人がが男性だったらと聞くと、それは「no problem」なんだそうです。
(笑)
さて、カンボジアの結婚式のことを紹介する予定でしたが、書きだすにつれ色々なことが思い浮かび、やはりこれまでの過程を振り返りながらカンボジアという国柄について少し紹介させていただいたうえで、次回に後編として、カンボジアスタイルの結婚式について、またお気楽に書かせていただきます。