『思い通りになるものだというところに迷いがある』(前期)

今から約2500年前、インドの地で仏法を説かれたお釈迦さまは、「人生は苦なり」という真理お示しくださいました。

「苦」とは、「自分の思い通りにはならない」という現実を明らかになさったお言葉です。

また、この「苦」ということについては、私たちがこの世に生きている限り避けることのできない苦しみとして、

「生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)」の4つに

「愛別離苦(あいべつりく)」

「怨憎会苦(おんぞうえく)」

「求不得苦(ぐふとくく)」

「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」

4つを加えた、いわゆる「四苦八苦」が説かれています。

誰もが、普段生活していく中でそれぞれに、自分の思い通りにいかないことが大なり小なりとあることでしょう。

そのため、私たちはいろいろな出来事に出会うことを通して、否が応でも、生きている限り、人生はなかなか自分の思い通りにならないことに満ち溢れていることを痛感させられるものです。

そこで考えてみますと、いろいろな出来事の前に、実は私たちは無意識の内に

「自分の人生は、自分の思い通りになるものだと思っている私」が、存在していることに気付かされます。

けれども、いったいどこの誰が「あなたの人生は、いつもあなたもの思い通りになる」と保証してくれたのでしょうか。

そんな人など、どこにいもいないのに、自分勝手に思い通りにいくものだと決めつけ、そうではない現実に直面した時に、それを「おかしい」と思う私がいるだけなのです。

だから、自分の思い通りにならない物事を、思い通りにしたい、あるいはそれができると無意識のうちに思い込んでいるところから、人生における迷いや苦しみが生じるのです。

私自身のことなのですが、先日あるイベントに関わって、企画・準備に追われているといったことがありました。

頭の中では既にイベントのイメージはできあがっているのに、準備をすすめると実際には思い通りにならないことに、ついイライラしてしまうこともありました。

また、本番になっても、スムーズに進まないことなどもありました。

イベントは、何とか無事に終えることができたものの、途中で予定していたことがその通りに運ばず、不安になったりもしました。

そんな時には、心の中で「大丈夫」「うまくいく」と自分に言い聞かせて自身を励まし、何とか乗り切ることができたのですが、改めてすべてが自分の思い通りにはいかないものだと、つくづくと感じさせられたことでした。

仏教は「転じる教え」だといわれます。

自分にとって、思い通りにならないことが起きたからしいって、そことを嘆いたり、イライラしたりするのでなく、たとえそれが自分にとって不都合にことであったとしても、「我が身の事実」としてきちんと受け止めて、乗り越えていけるような人生を歩みたいものです。