『思い通りになるものだというところに迷いがある』(後期)

先日ある結婚披露宴に招待されました。

その時、乾杯の発声をした方が一言と言って

「結婚はいいものです。なぜなら、自分の思い通りにならない人がいつも自分のそばにいるのですから」

と発言しました。

全く事実です。

なるほどそうだと納得しました。

私はいつも自分の思いを遂げようと、考えています。

でもその通りになることは殆どないと言ってもいいかもしれません。

四苦八苦でいえば「求不得苦」です。

求めても得られない苦しみです。

自業自得、自分で自分を苦しめているのです。

歌の文句に「わかっちゃいるけどやめられない」と言うのがありますが、頭では理解できても、やはり、自分の思いを遂げたいと、思孝し、行動していきます。

しかし、そうはいかないと、自分の連れ合いが居ることによって常に教えてくれるのですから、おまえは迷っているぞ、迷っているぞと、有難いことです。

なんでも思い通りになる世界が天人の世界です。

しかし天人は苦が無いので苦から解放されたいと言うさとりを求める心もありません。

仏さまのお話を聞こうと言う心は生まれません。

天人にも寿命があります。

都卒天の一日は人間界の400年に相当し寿命は4000年と言う事ですが、やはり死んでいかなければなりません。

迷いの世界、苦の世界、六道の世界に生まれていかなければなりません。

そして、快楽の世界、天界から転落する、死んでいくときはとてつもない苦しみに襲われるのです。

その苦しみは、地獄の世界の十六倍の苦しみといわれています。

恐ろしい事です。

思い通りになることはいいことのようですが、そうではないと言う事です。