真宗講座浄土真宗の行(6月後期)定説の矛盾点

第一に「大行が衆生の称名に先立つものでなければならない」という理論について考えてみます。

この故に、法体大行としての「名号」が案じ出されたのですが、いったいその名号とは具体的には何なのでしょうか。

私たちは通常、法体の大行をいとも簡単に「仏の名号」だと言いますが、具体的に把捉できる名号とは何でしょうか。

常識的に考えれば、まず本尊としての名号が念頭に浮かびます。

ただし、この名号が本尊だということは、単に掛け軸にかかっている「南無阿弥陀仏」という六つの文字を指しているのではありません。

この六字によって示されている、言葉の意味内容が南無阿弥陀仏をして本尊たらしめているのです。

したがって、この六字を離れては、具体的に躍動する「法体大行」は、私たちには認識することはできません。

そうすると、本尊としての名号は、そこに「静的」に存在するのではなく、その六字がそのまま大行として、仏の側から私に「動的」に働く必要があります。

今その働きをもし象徴的にとらえようとすれば、それはまさしく「称名」ということになってしまいます。

このように見ますと、名号と称名との関係は、名号を法体の側で、称名を衆生の側で捉えるという見方には、やはり問題があるといわざるを得ません。

なぜなら、親鸞聖人の思想には、このような捉え方は見られないからです。

つまり、伝統の宗学のような区別をされるのではなく、法体大行を本質的に捉えようとする場合には「名号」という言葉を選ばれ、それを躍動の相として行体論的に捉えようとされる場合には「称名」という言葉を使っておられるだけのことなのです。

したがって、法体大行が「南無阿弥陀仏」に先駆けて動き、それが衆生の心に来って信心となり称名となるのではなく、法体大行の名号が、この現実世界で躍動している相こそ、まさしく私たちの称名念仏している「南無阿弥陀仏」に他ならないのです。

そうすると、第二の「法体大行の名号は単に固然たるものとして止まっていない」という命題は、それが一つの観念の世界で考え出されたものということになります。

親鸞聖人は、観念とか憶念というような行為を徹底的に排斥されました。

なぜなら、そのような行相の中には、真如を掴みうる道は存在しなかったからに他なりません。

言い換えると、それは「色もなく、形もましのさぬ真如そのもの」を、凡夫の力で捉えようとすることへの厳しい戒めであり、反省なのでした。

では、伝統の宗学が意味する「法体大行の名号」とは何でしょうか。

少なくとも「色なく形もましまさぬもの」であってはならず、また真如の動く相ではあっても、私たちの認識とは関わりあうことのできないもの、いわば真如と同一の次元にあるものです。

このように見ると、私たちが現在、安易に語っている「法体の名号」というようなものは、実は私たちの認識を超えた世界のものだということになります。

したがって、そのような「名号」を、私たちの実存の世界で、あたかも存在するかのように捉えようとすることは、そのこと自体ちょうど心念とか観念によって、真如の仏体を把捉しようとする行為と同じだといわざるを得ず、もし親鸞聖人が観念の世界を排除されたのであれば、このような観念的産物である「名号」もまた当然のことながら除かれるべきです。

先に、親鸞聖人の思想には「名号」と「称名」の厳密な区別は見られないと述べたのですが、親鸞聖人は名号を自身とは別に存在する何かとして観念的に捉えられたのではなく、もっと実存的に自己の肉体的行為を通して把握し得るものだと考えておられたように思われます。

このような意味で、親鸞聖人においては、名号といってもそれは衆生の称名以外の何ものでもなく、また称名といってもそれは仏の六字の名号以外の何ものでもなかったのだと言えます。

伝統の宗学においては、「名号」と「称名」を二つの物体に分けて、その上で相即を語るのですが、親鸞聖人においてはそうではなく、むしろ名号と称名は二物に分離されざるものとして、常に同一視されていたところにその思想の特徴が見られます。

したがって、例えば「咨嗟称我名」を解釈する場合、宗学では「咨嗟称」と「我名」とに分け、能詮所詮の関係において複雑な論議が編まれているのですが、これなどまさしく後世の宗学上の問題であって、親鸞聖人の思想とは関係のないものだと言えます。

親鸞聖人における大行とは、私たちが「仏名を称する」ことにおいてのみ、語り得ることだったのです。