「人生という名の舞台」(下旬)そのままの自分

仕事の上でですが、いろいろな人を演じて参りますと、そんなことを思い出すことが往々にしてございます。

世の中には思いもよらないような事件がたくさん起こっておりますが、せめて自分の周りだけは気持ちよく仲良く暮らせるように、心がけております。

仕事場では私が一番上なのですが、皆さん大変気を遣ってくれるわけです。

もう遣われ過ぎてうっとうしくなったりもするのですが、「ありがとうございます」という感謝の気持ちを忘れないようにしております。

自分なりのちっぽけな心ではありますが、その中にあるものを皆さまに気持ちよく触れていただけるようになればいいなと思っております。

私は役柄の上で大変勉強させてもらいました。

それから、いままでやってきた中で病気で出られなかったことが往々にしてございましたので、何を始めるにしても体が資本だということで、毎日気をつけなければならない。

それと不思議なことに、来年、再来年のお仕事を頂きますと、体は大丈夫かなと心配いたしますが、逆にそれがあるために元気でいようという張りがあります。

これが健康の要因の一つになっておるのかなと思います。

私は家にいると、何も役に立たない婆ですが、一つの取り柄は「洗濯婆」というあだ名があるのです。

洗濯だけは日課としてやっておりまして、少しぐらい足が痛くても、できる限りはしております。

私は何も得意なことはありませんが、好奇心だけはありますので、何でも人さまにできるものはやろう。

車の免許も人さまにできているのだからやろうと、三十になってから取りました。

ゴルフもしましたし、ダイビングもしました。

五十・六十で色々なことに挑戦して楽しみました。

今も元気であれば、また潜りにいきたいと娘に言いましたら、「そんなことしていたら心臓が爆発するよ」と言われました。

「それもそうだな」と思いました。

でも、人間いつどうなるか分かりません。

考えてみますと、戦争中の空襲から逃れて、防空壕(ごう)生活をして、人間の食べられないようなものを食べて、それでもよくここまで生き延びることができたなあと思います。

ここまで耐えることのできる人間にしてくれた両親には感謝しております。

今の人に言わせると、そういう時代だったから元気でいられる。

今の時代に育った人にはそうはいかないらしいのですが、そんなことはございません。

人間の寿命が延びていいのか悪いのかわかりませんが、こういう場に出られることは大変幸せだと思いますし、ボチボチながらお仕事もさせていただいています。

昨日も金沢に行ってきたのですが、やはり歩くのはしんどいのです。

「ああ、これが引き時かな」と昨日の夜考えていたのですが、始めることは簡単でも、やめることは勇気がいりますね。

いまだにふんぎりがつかないんです。

「いち抜けた」と簡単に言えればいいのですが、難しいことですし、勇気も必要です。

ですから、「動けなくなったらやめればいいや」と天に任せるような気持ちでいます。

振り返ってみますと、人並みの結婚、出産とありましたが、全部が中途半端であったような気がします。

また、仕事も今だに中途半端で恥ずかしいなと思いますが、「自分はこの素材しかないんだ」とある時考えましたら、気が楽になりました。

「しょせん、自分」ということ、そして「その自分が要求されている」というのがわかりました。