小説・親鸞 2014年9月13日

「これは、おめずらしい」

と、その人はいった。

範宴は、橋の欄(らん)から振向いて、

「お、あなたは」

「ご記憶ですか、安居院(あごい)の法印(ほういん)聖(しょう)覚(かく)です」

「覚えております」

「意外なところで……」

と法印はなつかしそうに眼を細めた。

磯(し)長(なが)の聖徳太子の廟(びょう)に籠って厳寒の一夜を明かした折に、そこの叡(えい)福(ふく)寺(じ)に泊っていた一人の法印と出会って、互いに、求(ぐ)法(ほう)の迷悟と蝉(せん)脱(だつ)の悩みを話しあって別れたのは、もう十年も前のことである。

その折の旅の法印が、今も相変らず、一杖一(いちじょういち)笠(りゅう)の姿で洒脱(しゃだつ)に眼の前で笑っている。

安居院の聖覚なのである。

「しばらくでしたなあ。――いろいろご消息は聞いているが」

と、法印は範宴の眉を見つめていった。

「お恥ずかしい次第です」

範宴はさし俯(う)つ向(む)いて、

「磯(し)長(なが)の太子廟で、あなたに会った年は、私の十九の冬でした。以来十年、私はなにをしてきたか。あの折も、仏学に対する懐疑で真っ暗でした。今も真っ暗なのです。

――いやむしろ、あのころのほうがまだ、実社会にも、人生の体験も浅いものであっただけに、苦悶も、暗い感じも、薄かったくらいです。自分ながら時には暗澹として、今も、加茂の濁流を見ていたところなのです。私のような愚鈍は、所詮(しょせん)、死が最善の解決だなどと思って……」

そういう淋しげな、そして、蒼白い彼の作り笑顔を見て、法印は礼拝するような敬虔(けいけん)な面持ちをもって、

「それが範宴どのの尊いところだと私は思う。余人ならば、それまでの苦悶を決してつづけてはいないでしょう。たいがいそれまでの間に、都合の良い妥(だ)協(きょう)を見つけて安息してしまうものです。あなたが他人(ひと)とちがう点は実にそこにあるのだ」

「そういわれては、穴へも入りたい心地がします。すでに、世評にもお聞き及びでしょうが、私という人間は、実に、矛盾だらけな、そして、自分でも持てあます困り者です。その結果、がらにもない求法の願(がん)行(ぎょう)と、実質にある自分の弱点が呼んだ社会的な葛藤(かっとう)とが、ついに、二(にっ)進(ち)も三(さっ)進(ち)もゆかない窮地へ自分を追い込んでしまい、今ではまったく、御(み)仏(ほとけ)からは見離され、社会からは完全に葬りかけられている範宴なのです。まったく、自業自得と申すほかはありません」

夜来一(いち)椀(わん)の水も喉へとおしていない彼の声は、乾(から)びていて、聞きとれないくらいに低い。

しかしその音声(おんじょう)のうちには烈々と燃ゆる生命の火が感じられ、そして、みずからを笑うがごとく、嘲(あざけ)るがごとく、またなおこのまま斃(たお)れてしまうことを無念とするような青年らしい覇気と涙がその面(おもて)をおおっていた。

「お察しする」

と、法印は呻(うめ)くようにいって、同情に満ちた眼で、範宴の痩せて尖(とが)った肩に手をのせていった。

「立ちどまっていては、人目につく。歩きながら話しましょう」