小説・親鸞 2014年9月22日

十日ほど、範宴は通った。

そのあいだに、一般の聴法者のあつまりには、法然上人のすがたは、いちども、説教の座に見られなかった。

「お風邪(かぜ)をひいて、臥せっていらっしゃるのだそうだ」

信徒の人々のうわさだった。

で、教壇には、法然直門(じきもん)の人々がこもごもにあらわれて、念仏の要義を、極めてわかりやすく、しかも熱心に説くのだった。

その中には、他宗にあって相当に名のあった学徒たちが、顕密諸教の古い殻(から)から出て、この新しい宗祖の下(もと)に集まって来ている者も尠(すく)なからずあった。

西仙房の心寂、聖(しゃっ)光坊(こうぼう)の弁(べん)長(ちょう)、また空源とか、念(ねん)阿(あ)とか、湛(たん)空(くう)などの人たちは、範宴も以前から知っている顔であった。

また、鎌倉殿の幕府うちでも、武名の高い坂東武者の熊谷(くまがい)直(なお)実(ざね)、名も、蓮生房(れんしょうぼう)とあらためて、あの人がと思われるような柔和な相をして、円(えん)頂(ちょう)黒(こく)衣(え)のすがたを、信徒のあいだに見せているのも眼についた。

「ここの壇(だん)こそは、生きている声がする」

範宴は、一日来ると、必ず一つ感銘を抱いて帰った。

世間そのものの浄土を見て帰った。

「もし!……」

ぞろぞろと禅門から人々の帰って行く折であった。

老婆と幼(おさな)子(ご)とを門前にのこして、範宴の後をついてきた商人(あきゅうど)の妻らしい女が、

「もしや、範宴さまではございませんか」

と後ろから呼んだ。

「どなたです」

「お見わすれでしょう」

と女はわらう。

範宴は、女の笑顔に、

「おお、梢どのか」

と驚いていった。

弟の尋有の今の姿が、すぐ梢の変りきった眼の前の姿と心のうちで比べられた。

ふたりの恋ももう遠い過去のものであった。

天城四郎にかどわかされて後のこの女の運命を思わないこともなかったが、こんなに幸福な陽(ひ)の下で見られようとは想像もしていなかったことである。

「あのせつは、ご心配をおかけいたしましたが、今では小(ささ)やかですが、穀(こく)商人(あきゅうど)の内(ない)儀(ぎ)になり、子どもまでもうけて、親どもと一緒に暮らしております。よそながら、お噂もうかがって、いつも蔭ながらご無事をおいのりしておりましたが、ここでお目にかかれましたのも、ありがたいお上人様のおひきあわせでございましょう」

と、ことばの下から念仏をとなえて、吉水の門を拝むのだった。

あの盗賊の四郎の手にかけられた上は、当然、遠国の港へ売られたか、浮(うか)れ女(め)の群れに入って東国(あずま)まで漂泊したか、いずれ泥水の中に暗い月日も送ったことであろうに、梢の顔にはそうした過去の陰影はすこしも見られない。

母としてのつつましさと、妻としての落着きをたたえている顔に、明るい笑靨(えくぼ)がうごいているだけだった。

「そうか」

範宴はうれしいことに会ったと思った。

そして、彼女の今の幸福はなにかと問うと、梢は、ためらいなくいった。

「お念仏でございます。良人のそばでも、子供に乳をやりながらでも、お念仏を申している日がつづいてから、不幸と思った日は一日もございません」