『他人と比べるところから不幸は始まる』(後期)

私たちの幸せの基準はどこにあるのでしょう。

よくある話で「あなたは幸せですか」と質問すると「そうだね○○のあの人たちの苦労を考えると、幸せかな」とか「○○さんみたいに病気じゃないから幸せ」とかいった答えが返ってくることがよくあります。

「あの人より成績がいいから、点数を多く取ったから」と、幸せって、他と比べないと見えないものなのでしょうか。

むかし読んだ東井義雄先生の本の中に、島秋人という死刑囚の方の話があります。

この方は『遺愛集』という歌集を残されていますが、子供の頃、体が弱く、お母さんが結核で早くに亡くなられたこともあって、生活は貧しく、学校の成績もほかの生徒に比べ最低で、先生や友達からもばかにされていたのだそうです。

当然、心は荒み、乱暴で、学校を卒業しても問題ばかり起こして、少年院に送られたりしていましたが、昭和34年ある一軒の農家に盗みに入り、その家の人に見つかり、争って奥さんを殺してしまい、死刑囚として投獄されたのでした。

島さんは獄中で、人から褒められたことは一度もなかったけれど、ただ一度中学校の美術の先生から「絵は下手だが、構図は君のが一番いい」と言われた事を思い出し、獄中からその先生に手紙を書いたのだそうです。

そうしたら先生から返事が届き、その中に先生の奥さんの短歌が添えられていたのだそうです。

その歌が、島さんの心を揺り動かし、島さんも自身も短歌を詠むようになり、次々に歌が生まれたのでした。

・わが死にてつぐない得るや被害者のみたまにわびぬ確定の日に

・たまわりし処刑日までのいのちなり心すなおに生きねばならぬ

このような「つぐない」の歌や、その反面生きたい思いを

・被害者にわびて死刑を受くべしと思うに空は青く生きたし

と詠んでおられます。

そんな獄中の生活のなかで島さんは、人として生まれてきたのに、世のために何の役にも立たず、ただ人を殺して終わる事を悔い悩まれますが、そこでせめて処刑された後に自分の眼を眼を患っている人に提供したいということでした。

しかしその思いも深い悲しみに変わります。

死刑囚の眼など誰も貰ってくれる人などいないだろうとの思いでした。

・世のためになりて死にたし死刑囚の眼は貰い手も無きかもしれぬ

こんな尊い歌が生まれました。

小さいころ「点数は悪くても、人間として一番大切な美しい心を持っているよ」と励ましてくれる人が一人でもいれば、生きる幸せにもっと早く出会えたのではないかと思うと、残念でなりません。

試験の点数、成績もどうでもいいとは言いませんが、あの人に比べてダメとか、イイとか評価するのではなく、その人(子ども)の他に比べることの出来ないそれぞれに輝くいのちを知った時、生きる勇気も生きる幸せも感じられるのではないでしょうか。

他と比べる中には本当の幸せは見えないのでしょう。

親鸞聖人の浄土和讃の中に

超日月光この身には念仏三昧をしえしむ
十方の如来は衆生を一子のごとく憐念す

とあるります。

「あなたはわたしの一子ですよ、他に比べることのないひとり子としてどんな時でも、あなたを見つめ、願い寄り添い続ける」

という如来の働きをあらわすお言葉が、今更ながら有難く思えます。